第1部 組織の活性化
第1章 組織化の論理
第2章 組織の活性化された状態
第3章 I I図法による比較評価
第2部 ぬるま湯的体質を探る
第4章 ぬるま湯感と体感温度仮説
第5章 ぬるま湯感と活性化
第3部 NTTの活性化事例: 民営化と子会社戦略
第6章 民営化を契機としたNTT子会社戦略の転換
第7章 NTT子会社戦略の形成プロセス
どうすれば組織は活性化できるのか?
どのようにすれば組織の活性化は測定できるのか?
なぜ組織の活性化が必要なのか?
そもそも組織の活性化という概念自体、何を意味しているのか?
本書はこうした問いに答えるために企画されたものである。本書には右の四つの問いに対する私なりの解答が用意されている。ぬるま湯的体質といった純日本風な概念に対しても、組織活性化の枠組みの中で挑戦している。その意味では、国産の経営学を目指すという別の意図も含まれているといってよいだろう。 私かこのような日本の企業社会の中で身近であるはずの研究課題に手を染めるようになったのは、実際に企業の部課長クラスの方々から私へ発せられた真剣かつ素朴な質問が出発点となっている。いわく、「なぜ組織を作っているのか?」「組織の活性化とは何か?」「ぬるま湯的体質とは何か?」……。次々と発せられる質問に対して、私はすぐさまには納得のいく答えを見つけ出すことができなかった。
もちろん、その場では何とでも取り繕うことはできるのだが、自分自身そのような答えに納得できるはずもない。考えてみると、私の知る範囲では、これまでの経営学、特に日本の経営学は、こうした身近で素朴な疑問に対するきちんとした答えを用意してこなかったのではないだろうか。日常、日本の企業社会の中で使用されている用語の解説すらできず、疑問に対して建設的な解答を出すこともできないという現実に、私は経営学に携わる者の一人として危機感を覚えた。以来、そうした質問への解答は保留になったまま、私の悪戦苦闘が始まることになる。
もともと私の専門は、経営学の中でも経営組織論、しかも数理・計量アプローチのようなことを自ら専門と決めてこれまでやってきた。したがって、これらの問いかけも、経営者や経営コンサルタントの方々が考えつくような答えを私に求めているのではないことは明らかだった。そこで、本書ではアカデミックさにこだわって記述することを心がけてみた。しかし、だからといって難解という意味では全くない。「アカデミックに」とは、結局は論理と事実、つまり、論理的に明解に、できるだけ事実・データに基づいて説明することなのだと理解している。
私か本書において答えを用意することができたのは、まだそのほんの一部にすぎない。「なぜ組織を作っているのか?」という基本的な問いに対しては、近代組織論の理論をペースとして、第1章のような形で、自分である程度納得のいくような解答を作成することができた。「組織の活性化とは何か?」という問いに対しては、この第1章の解答、および私の本来の専門である数理的組織設計論の成果の助けを借りて、組織活性化とは組織メンバーを健全な意思決定者として覚醒させることであるという、第2章のような解答とI I図法なる測定方法を開発することができた。さらに第3章では実際に、組織の活性化された状態の測定を質問票調査のデータを使って行ない、ある程度満足できる結果も得られている。
「ぬるま湯的体質とは何か?」という問いもかなりの難問だったが、試行錯誤の末に、変化性向という概念を生み出して、湯温としての組織のシステムの変化性向と体温としてのメンバーの変化性向との「温度差」でぬるま湯感を説明する、体感温度仮説なるモデルを立て、第4章のような解答を作成することができた。体感温度仮説の追試と経営学的意味についての検討は第5章で行なっている。
さらに、こうした理論と測定によって明らかにされた活性化された組織が、具体的にどのような姿をとっているのかを考察するために、質問票調査による統計的分析から一歩踏み込んでみることにした。第4章での測定で、まさに適温の活性化組織であるという特異値を示していたNTTの民営化後の子会社群について、その成立・形成プロセスを中心として第6章、第7章でインテンシブ・ケース・スタディを行なっている。ここでは、このような活性化をもたらした基本的原因をNTTの民営化プロセスにおける子会社戦略の転換・形成プロセスに求め、これを事例として取り上げている。この事例研究は私自身にとっても、組織の活性化について考える上で、大いに参考になったものである。これらの諸章がどの程度解答として成功しているのかは読者の判断を待つよりほかはない。
本書はこのように、きわめて実際的な疑問に対してアカデミックさにこだわって答えることを意図しているため、最初はとっつきにくいと思われるかもしれないが、一度読み始めれば、それなりに明解に論理的に、かつ調査データを基にして明瞭に書かれているはずである。第4章第3節、第5章第2節(3)は、多変量解析についての多少の知識が必要となるが、たとえ読み飛ばされたとしても、本書の内容の本質的理解には支障はないだろう。
結果的に、本書では近代組織論の理論的枠組みとしての魅力と威力を再確認することになったように思う。また、測定の部分に関しては、その基本的枠組みがようやくこうして本書に姿を現したというのが正直なところであろう。したがって、実用的な測定方法を開発したというよりは、測定可能なより具体的なレベルで、変数と概念の論理的枠組みを示したといった方が正確だと思われる。しかし、測定方法についての研究計画は現在も進行中である。本書によって、こうした学術調査の価値を理解していただき、将来、被験企業となって協力していただける企業が一社でも増える可能性が出てくるのであれば、望外の幸せである。
本書を構成する章の一部は、既に学術専門誌、著書等の形で発表された内容に基づいているとともに、それらの研究成果のいくつかは、何らかの形で諸機関等からの援助を受けて行なわれた。ここに記して謝意を表したい。
第1章はもともと有斐閣Sシリーズ『経営学』の第4章として構想、準備を進めていたものであるが、組織活性化の理論的背景にねらいを絞って書き改められている。
第2章、第3章は『組織科学』誌に発表された論文(高橋, 1987c)及びTakahashi (1989e)を大幅に拡張したものである。このうち第2章は、著書である Design of Adaptive Organizations (Takahashi, 1987b)の第1部、及び、European Journal of Operational Research誌に発表された論文(Takahashi, 1988)といった私自身の数理的組織設計論の考え方と成果を大幅に取り込んで、組織活性化の理論的フレームワークについてまとめてみたものである。ただし、モデルの詳細や命題の証明等については省略してあるので、興味のある方は、同書及び同論文を参照していただきたい。これには、文部省の1989年度の科学研究費補助金(奨励研究A、研究課題「経営組織行動の数理的学習モデルによる研究」、課題番号01730050)の助成を受けることができた。
第4章は『行動計量学』誌に発表された論文(高橋, 1989c)を大幅に拡張したものであり、財団法人二十一世紀文化学術財団の1986年度学術奨励金(研究題目「日本企業の行動特性の理論的・実証的分析」)の助成を受けることができた。
第5章は、日本経営学会第63回全国大会で発表した論文(高橋, 1989d)を拡張したものであり、社団法人日本経営協会の経営科学研究基金による1988年度経営科学研究奨励金(主題「組織活性化の測定に関する調査研究」)の助成を受けることができた。
第6章、第7章は東北大学経済学会の『研究年報・経済学』誌に発表された論文(高橋, 1989a; 1989b)を基にして書かれており、文部省の1987〜1989年度の科学研究費補助金(総合研究A、研究課題「日本電信電話公社の民営化プロセスに関する実態調査研究」、課題番号62301079)の助成を受けることができた。もちろん調査対象となっていただいた日本電信電話株式会社、特に、関連企業本部、及びその前身である新規事業開発室、関連企業部の方々には、ヒアリング、資料収集等で格別のご配慮とご協力を賜った。
第3章、第4章、第5章の基になっている調査データの収集の機会と場を与えていただいた財団法人日本生産性本部経営アカデミー(「人間能力と組織開発コース」)に対しては、特にこの場をお借りして謝意を表したい。このような自由な調査機会が与えられなければ、これほど良質で大量のデータを学術研究用に収集することは不可能であったろう。同コースのコーディネーターをされ、一連の調査のきっかけを与えて下さった恩師である高柳暁筑波大学教授に感謝するとともに、同コースを担当されている日本生産性本部の新井一夫氏の学術研究に対するご理解とご好意に感謝したい。また質問票調査に協力していただいた、のべ26社1,580人の方々にもお礼を申し上げたい。
第4章のモチーフである「ぬるま湯」現象についての実質的な共同研究者である青木昭、新井達夫、猪野泰則、碓井裕二、岡田吉彦、川崎光男、小泉福秀、新岡浩、武藤和義の諸氏に対しては、この研究主題の単なる共同研究者として以上に感謝しなくてはいけない。この九氏の励ましと友情がなければ、最初から確固たる見通しの下に秩序正しく行なわれたわけではなく、むしろ、突如、様々に出現してきた調査・研究機会に応じる形で、ほとんどランダムに行なわれてきたこうした一連の調査・研究を「組織活性化の測定と実際」というテーマで統一的に書き改め、一冊の本にまとめることには思いも及ばなかったであろう。
また、アカデミックさにこだわるという私の勝手な執筆方針に理解を示し、出版を快く引き受けていただいた財団法人日本生産性本部出版部の市村登氏にも感謝したい。
以上のように、本書は多くの方々のご協力とご助力によって成り立っているが、ここであらためてお礼を申し上げるとともに、こうしたご協力とご助力に応えるためにも、本書が組織活性化の議論にいささかでもアカデミックな意味で貢献することになれば、そして、私に真剣かつ素朴な疑問をぶつけていただいた方々への多少なりとも解答になっていれば、幸いである。
最後になるが、この2〜3年というもの、降って湧いたような雑多、かつ山のような調査研究計画にうれしい悲鳴をあげながら、過密スケジュールに追いまくられていた私を支えてくれた妻敦子と息子伸之に対して、心から「ありがとう」といいたい。
1989年11月
高橋伸夫
この第1章で考察の基礎となっている近代組織論は、Barnard (1938)によって創始され、Simon (1976; 初版1947)やMarch & Simon (1958)らによって精緻化されたものである。BarnardとSimon及びMarchとの間には主張にやや隔たりもあるが、後者を中心にして考えれば、近代組織論は、意思決定過程を組織分析の中心に据え、組織メンバーの限定された合理性が、組織の意思決定過程の中でどのように克服されていくのか、ということを分析することを基本的テーマとし、組織現象を説明するための概念体系と理論的枠組みを確立したといってよいだろう。
そこで、「人間はなぜ組織を作っているのか?」という基本的な問いに対して、近代組織論がどのような答えを用意しているのかを整理し、提示することが、この第1章の役割である。この問いに答えることが、組織活性化のもつ意味を理解することの出発点となる。なぜなら、人間の問題解決過程や合理的な人間の選択の諸性質は、組織がどのような構造と機能をもつかといった組織の基本的特性に大きくかかわっているからである(March & Simon, 1958, p.169 邦訳p.258)。この章では、限定された合理性しかもだない人間が、「合理的」に意思決定をしうるための装置として組織をとらえ、そのために組織がどのような機能を果たしているのかを明らかにすることで、近代組織論的観点からの解答を提示することにしたい。
組織の構造と機能の基本的特色に大きくかかわっている人間の基本的特性は一般に「限定された合理性」(bounded rationality)という用語で表現される。ここでいう「合理性」とは人間の意思決定に関するものである。つまり、いまいくつかの可能な代替的行動の案があり、それぞれの行動によって起こる結果がわかっていて、それらの結果を評価しうるようなある価値体系があるとき、「合理性」とは、その価値体系によって、望ましい代替的行動を選択することに関係している(Simon, 1976, p.75 邦訳p.96)。
しかし、ある選択を「合理的」というときの具体的な内容については、統一的な見解が存在して いるというわけではない。統計的決定理論や古典的な経済学においては、「経済人」(economic man)とでもいうべき全知的に合理的な(omnisciently rational)一種の人間のモデルを想定して合理性を考えるが(Cyert & March, 1963, p.99 邦訳p.144)、近代組織論では、この経済人モデルが現実的でなく、実際の人間行動はそうした全知的・客観的合理性には遠く及ばないことが主張されている。それでは、その経済人モデルとはどのようなモデルなのだろうか。
経済人モデルは、具体的には次のような特徴をもっている人間モデルである。
しかし、実際の人間はそのような経済人モデルに合致するような行動をとっているのだろうか。少なくても、実際の人間の行動は全知的・客観的合理性に次の三点で及ばないということは容易に指摘しうる(Simon, 1976, p.81 邦訳p.103; March & Simon, 1958, p.138 邦訳p.210)。
いい換えれば、仮に現実の世界において、人間が経済人モデルが描くように客観的に合理的な行動を選択しているのであれば、実際にわれわれ人間が扱っているよりもはるかに複雑な問題を定式化し、それを解くことを要求されているはずなのである。しかし、明らかに、実際の人間には経済人モデルが求めるような高度な問題解決能力は備わっていないし、利用可能な労力や時間にも制約がある。その問題のサイズに比べたら、人間の頭脳の能力は、はるかに小さいものにすぎないのである。
それでは、現実のわれわれ人間の意思決定に合理性を求めることは、そもそも本質的に無理なことなのであろうか。前述のように人間の合理性には限界があるということを全面的に認めた上で、仮に人間が何らかの意味で合理的に選択を行なうことができるとするのであれば、経済人とは別の人間モデルを考える必要がある。そうしなければ、人間の合理的選択や行動を想定すること自体が無意味になってしまうからである。そこでSimonが考え出しだのが「経営人」(administrative man)の人間モデルである。経営人モデルは、経済人モデルと対比させると、表1.1にも要約されるように、次のような特徴をもっている(Simon, 1976, pp.xxix-xxx 邦訳序文p.30; March & Simon, 1958, p.140 邦訳pp.213-214)。
しかし、考慮すべき変数のシステムを十分に単純化し、しかも、それらの変数に他からの重要な間接的影響が及ばないように、より閉鎖的な変数のシステムとなるようにするには、経済人の場合には工夫する必要もなかった何らかの「しかけ」が当然必要となってくる。例えば、満足できる代替案の水準を設定すること一つを取り上げても、それは最適基準の場合には必要のない作業であり、何らかの意味での望ましい水準を設定するためには、意味のあるしかけを作ることが必要になってくる。このようなしかけのうち、代表的かつ重要なものとして、組織が登場してくることになる。
表1.1 「経済人」と「経営人」の比較
「経済人」の合理的選択の特徴 | 「経営人」の合理的選択の特徴 |
---|---|
|
|
これまでの議論から、限定された合理性を考慮に入れると、経営人たる人間が、たとえ何らかの意味で合理的に行動できるとしても、それは人間にとってかなりお膳立ての整えられたような状況下に限られてくることが明らかになった。先ほどの田の合理性の限界についての指摘を逆手にとれば、次のような状況の特性が、意思決定に先立ってあらかじめ定められ、与えられているときにのみ、人間は合理的に行動できるにすぎないということがわかる。
このうち最後の4は、3の代替案を順序づける原理の種類によって必要となってくるものである。
この四つの状況の特性があらかじめ定められ、与えられているときにのみ、人間は合理的に行動できるのだということは、いい換えれば、仮に合理的意思決定者がいるとすると、その合理的意思決定者の状況はこの四つの特性によって、あらかじめ定義されているに違いないということである(March & Simon, 1958, pp.150-151 邦訳pp.230-231)。
組織が人間の目的の達成にとって有用な道具であるのは、まさしく個々の人間自体が知識、能力、及び時間等について限界をもっているからに他ならない。そのために、逆に人間が身を置く状況の方に工夫をして、1〜4の四つに代表される状況の特性が、人間に何らかの形で与えられ、定義されるようにするのである。このとき、経営人たる人間ははじめて合理的に行動できるのであり、それ故に、人間は組織の中に身を置くのである。したがって、「組織」とぱ、意思決定に際して考慮すべき変数のシステムがより閉鎖的(=できるだけ重要な間接的影響が存在しない)でかつ単純となるように組織内の人間の状況を定義し形成する装置だと考えてもよいはずである。
March & Simon (1958, pp.139-140 邦訳pp.211-213)はこうした認識から、次の二つの基本的性格を組み込んだ「合理的選択の理論」(the theory of rational choice)を示した。
したがって、この理論では、人間が組織の中に身を置くことによって、組織の中での心理学的・社会学的過程による濾過作用を受けることを肯定的に扱っていることになる。つまり、組織は、その中に身を置く人間の状況定義の形成過程:
において、現実の状況にふるいをかけ、歪みを加えながら単純化を行なうという機能を果たす点でまさに重要なのであり(March & Simon, 1958, pp.154-155 邦訳p.236)、この状況定義の形成過程を経ることで、合理性に限界のある人間が、はじめて合理的に意思決定できるような状況が生まれるのである。そして、組織の他のメンバーについても、同様の過程を経て、合理的意思決定を期待できるからこそ、当該メンバーの状況定義は、次の節でみるような過程によって単純化が可能になり、形成されることが可能になるのである。
March & Simonの「合理的選択の理論」が提示するように、状況定義の諸要素を所与とはせず、それ自体を組織の中での心理学的・社会学的過程といった濾過過程の結果であるとするならば、当然、状況定義の形成過程自体が考察の対象となりうる。このような観点からすると、人間の選択について、全体として長々とした過程の最後の瞬間の「決定」にだけ注意を向けるのではなく、それに先行する探索、分析等を含めた複雑な過程の全体に注意を向ける(cf. Simon, 1977, p.40 邦訳p.54)ことが必要となってくる。こうした理由から、近代組織論では、組織の分析・考察に当たっては、分析の最小単位を意思決定(decision)にではなく、そこに至るまでに登場する意思決定前提(premise)に置くことになる。こうすることで、意思決定を「諸前提から結論を引き出す過程」(Simon, 1976, p.xii 邦訳序文p.8)として扱うことができるようになるのである。こうして、近代組織論では状況定義を所与として片付けてしまわずに、組織の中で、状況定義がどのように形成されてくるのかということ自体に重大な関心を払うのである。
それでは、組織の中で、どのようにして状況定義が形成されてくるのだろうか。そのことを見てみることにしよう。
いま、図1.1で表されるような個人(とりあえず「Aさん」と呼ぶ)の意思決定の連鎖を考えてみよう。Aさん個人の意思決定過程は、通常それ自体がさらにAさん自身によるいくつかのより細かな意思決定の連鎖として表現される。この図の場合は、ごく単純に、xという意思決定前提がAさんにもたらされたことにより、Aさんの意思決定の連鎖がスタートすると考える。そして、意思決定の連鎖の最後の意思決定が行なわれ、aという活動がとられることになる。
図1.1 個人(Aさん)の意思決定の連鎖
いま仮に、Aさんが何らかの組織に属し、図の太枠の中の意思決定の連鎖をAさんが自分自身で行わず、その組織の中の他のメンバーであるBさんに行なわせることを考えてみる。つまり、Aさんは自分の意思決定過程の一部を組織(実際には組織を構成するメンバーであるBさん)に委譲してしまうわけである。こうすることの利点は、Aさんの意思決定に要する労力・能力・時間を節約することができるということであり、もちろん、この意思決定過程の分業により、Aさんの意思決定過程はかなり単純化されることになる。いい換えれば、本来Aさんが意思決定に際して直面しなくてはならないはずだった複雑な状況が、組織とかかわりをもつことによってより単純に定義されていることになるのである。
しかし、その反面、Aさんにとってみると、意思決定の基礎となっている諸前提が組織の他のメンバーからもたらされるために、この場合には、そのメンバーであるBさんの影響にしたがうことにもなるのである。こうしたことは、ごく頻繁に実際の管理過程において観察される。いま組織の管理階層を考えてみよう。その管理階層の最下層には、実際に物理的な仕事を行なう現業員と呼ばれる人々がいて、その上の階層には、非現業員である管理者が存在していると考えるのである。管理者は実際にはほとんど物理的作業を行なわないが、現業員の決定・行動に影響を与えることで、組織の目的の達成に貢献しているといえる(Simon, 1976, p.2 邦訳p.4)。つまり、このとき、現業員は先程のAさんのように意思決定の連鎖の一部を管理者(Bさん)に委譲してしまったことで、結果的に管理者の影響力にしたがっていることになる。このような現業員と管理者(非現業員)との間の意思決定職務の分業は、通常の「分業」である水平的専門化に対比して、垂直的専門化(vertical specialization)と呼ばれ(Simon, 1976, p.9 邦訳p.12)、管理過程の観察が容易なので、しばしば取り上げられる。
以上のことから、このような意思決定過程における分業が、メンバーの意思決定の状況の単純化に重要な役割を果たすとともに、あるメンバーが他のメンバーの影響にしたがうという点で、組織の管理過程にとっても本質的なものであるということがわかる。つまり、管理過程(administrative process)の本質は、組織メンバーの意思決定過程を構成するある意思決定前提を、そのメンバーの意思決定過程から分離し、さらにこれらの意思決定前提を決定し、伝達してくれるメンバーを選択したり、当該メンバーが決定した内容を意思決定前提として必要とする関係メンバーに伝達する正規の組織的手続きを確立するということにある。このとき見方を変えれば、組織は、組織メンバーの意思決定の自主権(autonomy)の一部を取り上げ、そこに、組織の意思決定過程を置き換えたと見ることができるのである(Simon, 1976, p.8 邦訳p.11)。したがって、管理過程は垂直的専門化のように、垂直方向ばかりに存在するのではなく、水平方向を含め、あらゆる方向に存在するものであるということになり、このことには注意がいる。
こうした管理過程が確立されるということは、組織の中に身を置く人間が、組織内の他のメンバーからもたらされる意思決定前提によって構成される状況定義に基づいて、組織の観点からの意思決定を行なうようになるということである。したがって、組織メンバーの状況定義形成の局面で重要な役割を担う現象面での二本柱として、少なくとも次のことは挙げられる必要がある。
状況定義形成の局面で特に「現実の世界」を単純化する際に、基本的に重要な役割を果たしているが、一体化の現象である。まず、一体化の現象から考えていくことにする。
個人の諸目的(goals)は、組織にとって所与の存在ではない。組織はメンバーを新規に採用する手続き(recruitment procedures)や組織内の実践(organizational practices)によって、メンバーの目的を操作することができると考えられる(March & Simon, 1958, p.65 邦訳p.100)。
その一方で、個人にとっても、一体化(identification)と呼ばれる現象がある。組織のメンバーが組織の観点から、あるいはその下位集団の観点から発言を行なうことはごく普通にみられることである。たいていの人は、就職して会社に所属すると、ごく自然に「うちの会社は……」というようないい方をするようになる。さらに進むと、何か個人的な感想・意見を求められたときでさえも、こうした前置きをせずに、自分の所属する会社の立場からの発言をしてしまうような人も出てくるものである。このことを一般化して、より明確に定義すると、ある人が意思決定を行なうに当たって、特定の集団にとっての結果の観点からいくつかの代替案を評価するとき、その人はその集団に自身を一体化している(Simon, 1976, p.205 邦訳p.260)というのである。いい換えれば、メンバーが組織と目的や価値を共有しているとき、そのメンバーは組織に自身を一体化している状態にあるといえる。
ただし、ここで注意がいるのは、一体化の対象は必ずしも組織全体に限られているわけではない ということである。March & Simon (1958, pp.70-77 邦訳pp.109-118)は、組織の中のメンバーの一体化の主要な対象として次のものを挙げている。
このように一体化の対象は様々であるが、様々であるからこそ、一体化は組織メンバーの状況定義形成の際に、どの程度の単純化が行なわれるのかを決める重要な要因となっている。いま、行動がはっきりと関係づけられ、行動の成果を評価する基礎を与えるという意味での「操作的な」(operative)目的を考えてみよう。こうした操作的な目的は、「現実の世界」がモデルに単純化され状況定義に結晶する(crystallize)際の核(seed)となるものなのであるが(Simon, 1976, p.xxxv 邦訳序文p.36)、操作的な目的のうち最高位の目的は、組織全体の目的であるよりも下位集団の目的であることが多い。この場合に、状況定義の単純化はより一層顕著なものとなる。つまり、そうした操作的な目的をもった下位集団に一体化することで、注意の焦点(focus of attention)が生まれ、その結果として、ある基準を排除して、他の下位目的、あるいは組織全体の目的の他の局面は無視するという選択的不注意(selective inattention)と、自分の所属している下位集団の目的に特別の注意を払う選択的注意(selective attention)とが行なわれる。組織の下位集団で扱う問題は、組織全体で扱うべき問題に比べるとかなり単純化されたものに既になっているので、操作的目的をもった下位集団に一体化することで、より容易に単純化が行なわれ、状況定義が形成されることになるのである(March & Simon, 1958, pp.152-154 邦訳pp.233-236)。
組織メンバーの状況定義形成の局面で重要な役割を担う現象としての権威は、近代組織論においては、日常語の権威よりも広くて一般的な概念として扱われる。一言でいってしまえば、権威(authority)とは組織における伝達(命令)の性格であるといわれる。先程の図1.1のようなケースを考えてみよう。日常的によくみかける光景なのだが、例えば、AさんとBさんが同僚で、AさんがBさんによってもたらされた伝達内容を批判的な検討や考慮をすることなしに受容し、意思決定前提として用いる場合、Aさんは太枠で囲まれた部分について「Bさんはこのことについては権威だから……」と理由づけすることがある。実は、この用語法の延長線上に、ここでいう権威の概念がある。つまり、堅い表現をすれば、いま、ある伝達が組織メンバーによって自己の貢献する行為を支配・決定するものとして受容されるとき、その伝達は権威あるものとして受容されたというのである。
権威の現象の説明に「受容」という言葉が使われることにはやや奇異な感じがするかもしれない。しかし、われわれの周囲を注意深く観察してもわかることだが、「権威を行使するときには上司は部下を納得(convince)させようと努めるのではなく、単に部下の黙認(acquiescence)を得ようとのみする」(Simon, 1976, p.11 邦訳p.15)ものである。そして、黙認を与える側、ここでは部下の側では、一般に、組織メンバーは「伝達された他人の意思決定によって、彼自身の選択が導かれることを許容し(すなわち、他人の意思決定が彼自身の選択の前提として役立つ)、これらの前提の便宜性(expediency)ついて、彼自身の側で考えることをしない、という一般的な規則を彼自身で設定している」(Simon, 1976, p.125 邦訳p.161)のである。したがって、組織メンバーは「代替的諸行為のどれを選ぶか彼自身の能力(faculties)で決めることをやめ、選択の基礎として命令あるいは信号を受容するという公式の規準(formal criterion)を用いる」(Simon, 1976, p.126 邦訳p.162)ことになる。つまり、当然のことながら、権威の性格は管理過程と密接に結びついていて、その意味では、管理過程は、組織内において伝達された意思決定前提を権威あるものとして受容することによって成立する状況定義の形成過程なのである。
このように組織メンバーが組織内での伝達を権威ある意思決定前提として受容することの最も大きな理由は、人間の限定された合理性にあるということは前述のとおりである。命令・信号といったものを吟味するのに必要な専門的知識をもっていないため、さらには、時間・労力の制約もあるために、組織内での伝達を権威あるものとして受容するのである。
こうした意思決定の前提に関する議論からもわかるように、実は、権威の現象は単に上司から部下への伝達という場面だけに限定されて発生するものではない。もちろん上から下への伝達の場面が最も馴染みがあるのではあるが、水平的に伝達される場合にも、あるいは下から上に伝達される場合にさえも、権威の現象は生じうる。例えば、会社の社長は社長秘書が整理・伝達する伝言、スケジュールや面会予約を何ら批判的な検討や考慮をすることなしに受容しているが、それは社長秘書の伝達が権威あるものとして社長に受容されていることを意味している。そこで、より正確にかつ一般的に権威の定義を考えれば、権威とは伝達の性格であり、「何ら批判的な検討や考慮をすることなしに示唆を受容するというすべての状況を意味するものと理解しよう」(Simon, 1976, p.128 邦訳p.166)ということになるのである。
権威という現象を以上のように限定された合理性と意思決定過程の観点から説明することは、実は、一つの伝達が権威をもつかどうかは、最終的には発令者の側にではなく、それを受容する受令者の側にあるのだということを主張していることに他ならない。このことをより明確に示しているのが、無関心圈という概念である。
Barnard (1938, pp.167-170 邦訳pp.175-178)は、おのおのの組織メンバーには「無関心圈」(zone of indifference, 経済学的含意を考慮すると「無差別圈」と訳すべきだと思われるが、既に定訳になっている)が存在し、その圏内では命令の内容は意識的に反問することなく受容しうるのだと考えた。命令を受けた者は無関心圏にある命令に対しては命令の内容については無差別で、それが何であるのかについて比較的無関心に、命令を受け入れるのである。例えば、全国各地に事業所があり、転勤して回ることが常であるような企業では、転勤命令は通常は無関心圏に属し、「A市へ転勤」、「B市へ転勤」、などの転勤命令の内容である転勤先については比較的無差別で、無関心である。このような権限を行使するときには、上司は部下の納得を求めるのではなく、まさに、単に部下の黙認を得られればよいのである。この考え方はSimon (1976)にも「受諾圏」(zone of acceptanceまたはarea of acceptance)という概念で受け継がれている。
それでは無関心圏はどのようにして設定されるのであろうか。個人が組織へ参画する決定、及び組織が個人を受け入れる決定が行なわれるときについて考えてみよう。
一般的にはMarch & Simon (1958, p.90 邦訳pp.137-138)の考えている雇用契約(employment contract)のような公式のものではなくても、心理的に誘因貢献の契約(inducements/ contributions contracts)がなされていると考えると理解がしやすい。すなわち、個人が組織に何を貢献し、何を受け取るのか、そして組織が個人に何を誘因として与え、何を受け取るのかについて、何らかの設定を行なって、個人が組織のメンバーとなると考えるのである(Thompson, 1967, p.105 邦訳p.135)。
この契約により、組織とそのメンバーとなる個人とのかかわりに制限が加えられる。個人の側からすると、
このようにして、組織メンバーは、自分の意思決定の基礎となっているいくつかの諸前提が組織によって決められる(Simon, 1967, p.123 邦訳p.159)ことを受け入れるのである。そのことは、組織内のメンバーが、誘因貢献の契約を結ぶ際に、無関心圈を自分の周囲に設定するという手続きによって、自分の意思決定過程及びその連鎖を単純化していることを意味している。この手続きにより、状況定義は形成されるのである。
誘因貢献の契約のもつ意味は、組織のメンバーとなった当該個人の側で無関心圈を設定するというだけではない。さらに組織全体に及んで、他の組織メンバーの状況定義の形成に重要な働きをする。つまり、個人が組織的状況において示す行動に限界を設定することにより、組織の中における個人の異質性(heterogeneity)の表出を減少させ(Thompson, 1967, p.105 邦訳p.135)、そのことは他のメンバーの状況定義形成の際の状況の単純化に大いに役立つのである。こうして組織のメンバーシップを明確にし、組織参画の際の誘因貢献の契約を行なうことで、ある意味での組織メンバーの行動の均質化・標準化が行なわれ、各メンバーの状況定義の単純化にも寄与することになるのである。
しかし、組織メンバーの側の「合理性」にまだ余裕があり、能力、時間、労力に余裕があるのであれば、不必要に無関心圈を広くとったり、不必要なまでに状況定義を単純化したりすることは、それこそ合理的ではない。それは本来の価値を無視した人的資源の安売りであり、単なる人的資源の無駄遣い、浪費にすぎない。既に述べてきたように、組織はメンバーの限定された合理性を超えてしまう部分について、経営人の合理的意思決定過程を手助けするための装置にすぎないのであり、有能な組織メンバーが思慮深く自主的に意思決定を行なうことを拒絶することが組織の本質なのではない。組織メンバーの無関心圈の存在とその大きさは、状況定義形成の際の単純化の程度が決まる重要な要因であるが、無関心圈の設定は、限定されているとはいえ、厳然として存在している合理性を生かす形で。組織メンバーの合理性のサイズに合わせて設定すべきものなのである。
これまで、組織メンバーの状況定義の局面で重要な役割を担う現象として、一体化と権威についてみてきた。一体化と権威(すなわち無関心圏の設定)は状況定義形成にとって重要な現象であり、どんな組織のメンバーでもみられるものであるということがわかったと思う。しかし、一体化の強さ、無関心圈の大きさについては個人差が大きいだろうということもまた容易に想像できる。いま一体化の強さを一体化度、無関心圈の大きさを無関心度で表すことを考えてみょう。一体化度を縦軸、無関心度を横軸にとったグラフをI I図(I-I chart; Identification-Indifference chart)と呼ぶことにする。前述のような一体化の現象と無関心圈のもつ意味から、I I図によってメンバーの組織人としての性格づけを考えることができる。一体化度の高低と無関心度の高低の組み合わせから、組織人は次のような四つのタイプに類型化して考えることができる。
最後のタイプ4は非構成員型であり、実際には、このタイプのメンバーの多い組織は組織的行動がとれずに、存続が難しくなっているはずである。それ以前の問題として、そのような傾向をもった者をメンバーとして組織が受げ入れること自体が常識的には考えにくい。したがって、無関心度も一体化度も共に低いようなタイプ4の者は、実際の組織には少ないと考えられる。事実、第3章で示すように、このことを裏 づける調査結果も得られている。
以上の4タイプを図式化すると、図1.2のように表すことができる。このI I図が第2章、第3章で組織活性化の分析に使用されることになる。
図1.2 I I図による組織人の類型化
March & Simon (1958, pp.6-7 邦訳pp.10-11)は、それまでの組織についての命題は、人間の諸属性のうちのどれを考慮に入れるべきかということについての一連の仮定が明示的にもしくは暗黙のうちに前提として含まれていると主張した。そして、組織内行動についての諸命題をその仮定によって次の三つに大分類した。
この三つの分類は、それぞれ、1は科学的管理法などの古典的組織論、2は人間関係論の系譜、そして3は近代組織論に対応していると考えることができるが、注目すべきなのは、三つの分類1、2、3が、本書でのタイプ1、2、3にそれぞれほぼ対応しているということである。
March & Simonは「これら3組の仮定は、相互に何ら矛盾するものではない。人間というものは、これらの側面のすべて、おそらくはそれ以外の側面をも、もっているであろう。」と述べている。しかし、ここではむしろ、個人が組織とのかかおりを持つ際には、状況定義の形成がどのように行なわれるかについての個人差がかなりの程度存在しているのだということに注目したい。タイプの異なるメンバーでは、当然理論上の仮定も異なるために、適用可能な理論も異なってくると考える方が自然だろう。
西田(1976, p.211)は、ワーク・モチベーション研究の基礎理論として、一体化の理論をも検討する必要があると述べているが、ここで注意を要するのは、一体化と動機づけの関係である。前述の1、3すなわちタイプ1、3の組織人の場合には、一体化度が高く、このように組織と一体化しているメンバーにとっては、もはや動機づけは必要がないのである。動機づけが意味をもつのは、2すなわちタイプ2の組織人の場合だけである。しかも、一体化と動機づけとの間には相互補完的という対称性のある関係があるのではない。メンバーの一体化の低下した分を動機づけによって補ってやり、あたかも一体化して行動しているかのように、表面的には行動させようとするのである。つまり、一体化の不足分を動機づけで補完してやるという関係がある。
なぜなら、一体化度が低下した場合には、メンバーが組織にとって望ましい行動をとるだろうと期待することが難しくなり、メンバーの行動を前もって予測することが困難になるために(March & Simon,1958, p.91 邦訳p.138)、このような低一体化度のケースでは、動機づけによって無関心圈を広めに設定しておくことが、組織としての行動をとるためにはぜひとも必要になるからである。つまり、内実はともかく、表面的には組織としての行動をとれるように図るのである。その典型がタイプ2の官僚型の組織人の場合であり、March & Simonの分類の2の場合である。その場合には、無関心圈を広げるために、メンバーは動機づけられなければならないのである。このように考えてくると、タイプ2の組織人は決して望ましいものではないように思える。
また限定された合理性しかもたない人間が合理的に意思決定をしうるための装置にしかすぎないという組織の本質からすると、タイフーの受動的器械であることを強いることは行きすぎの感がある。もとより、組織と一体化した上で、能力、時間、労力に余裕のある人間に対して、受動的器械になってしまうほどに大きな無関心圏を押しつけなくてはならない理由が、組織化の論理からは出てこないことはこの章で述べてきたとおりである。行きすぎた無関心圈の設定は、単なる人的資源の安売り、無駄遣いにすぎない。限定されているとはいえ、メンバーがもっている合理性は生かされ、活用されるべきであり、無関心圈は経営人としてのメンバーが合理的に意思決定できる程度にそこそこ合理性を節約できればよいのである。
このように消去法的に考えてくると、残っているのはタイプ3の意思決定者型だけということになるが、組織との一体化度を高水準で維持し、無関心圈の設定を最小限にとどめたタイプ3の意思決定者型の組織人特性が組織化の論理の点からは一番無理がなく、自然だということができる。限定された合理性しかもたない人間が合理的に意思決定をしうるための装置にしかすぎないという組織の本質からすると、無関心圈は経営人たるメンバーが合理的に意思決定できる程度に設定しておけばよいのであり、組織との一体化度をある程度の水準で維持できるのであれば、組織としての行動をとるために、動機づけによって無関心圈をそれ以上広めに設定しておく必要性は組織化の論理上は存在しないのである。
次の第2章では、このタイプ3が組織の活性化された状態としてクローズアップされることになる。このような消去法的消極的な意味づけではなく、タイプ3の意思決定者型の組織人特性のもっている積極的意義を組織の活性化された状態との関連を踏まえて、組織設計論的立場から明らかにしたい。
第1章では、なぜ組織を作っているのか、という観点から、合理性に限界のある経営人の合理性を節約するために、一体化と無関心圈の設定が果たす役割について考察してきた。その結果、メンバーの組織人としての特性が、メンバー自身の状況定義の形成の仕方、及び組織的行動のあり方にとって重要であることがわかった。この組織人としての特性こそが、組織活性化に対する基本的視点を与えてくれるものである。
そこで、この章では、組織の活性化とは何を意味しているのかという根本的な問題に答えるために、組織の活性化された状態について定義し、そのように定義された活性化された状態のもつ意味を組織設計論的視点から明らかにすることで、組織の活性化について考える。さらに、それを基にして考案した組織の活性化度の比較評価のための手法として、前章で示したI I図を利用した手法を提示する。
「組織の活性化」という用語は、1970年代半ば頃からしばしば用いられるようになったが、日本にある考え方や技法などをすべて包括しているあいまいな概念であるといわれる(馬場, 1989)。したがって、活性化にしろ活力にしろ、広く使われている用語にもかかわらず、企業や組織に関して用いられる場合には、必ずしもその真意は明確ではない。例えば、通産省産業政策局(1984)のレポートでは「活力ある企業活動」を「企業が市場ニーズに対応して、新製品の開発、製品の高品質・低価格・早納期を積極的に実現していくこと」と定義している(p.6)。こうして定義してしまうと、これはコンティンジェンシー理論にみられる環境適応のアイデアと似ているようにも見える。果たして、本当にそうなのだろうか。
ここで、コンティンジェンシー理論(contingency theory)とは、Lawrence & Lorsch (1967)が、組織と環境との相互作用を扱った調査研究をレビューし、自分達の研究も含め、これらの調査研究が、最適な組織形態が市場・技術環境によって条件づけられて(contingent upon)決まるという共通認識をもっていたことから、これらの調査研究を総称してコンティンジェンシー理論と呼んだことに由来している。したがって、条件適合理論、環境適応理論などと訳されることもあるが、最適な組織形態は環境の状態によって条件づけられて決まるという認識に基づいて、組織化に唯一最善の方法は存在しないと主張している。
しかし、活性化の場合には、実際には、コンティンジェンシー理論のように、環境の様々な状態に対して、「それぞれの状態に適した組織の活性化」が考えられているわけではない。一般には、環境の状態が等しければ、より高い業績を挙げる組織の状態が普遍的に存在することを想定し、その状態を「活性化された状態」と考えているといっていいだろう。すなわち、活性化された状態とは環境の状態にかかわらず、良い状態であり、環境の状態との組み合わせで善し悪しが決まるという性質のものではない。その上、必ずしも高業績に結びついたものでもない。例えば、ひどい不況時には、企業が高業績を挙げることはほとんど望めないが、このようなときにも、たとえ高業績に結びつかなくても、活性化された状態を実現することは可能である。同様に、高業績を挙げているからといって、その組織が活性化されているともいえない。
活性化された状態とは、先程の通産省のレポートの定義でいえば、「積極的に実現していく」ということに重点が置かれた概念であり、「組織のメンバーが、(1)組織と共有している目的・価値を、(2)能動的に実現していこうとする状態」ではないだろうか。本書ではこの定義のもつ組織設計論的、近代組織論的意味を検討することから、活性化についての考察がスタートすることになる。この活性化された状態の定義は、後述するように、第1章のI I図のタイプ3の意思決定者型にまさに相当したものである。
第1章では、なぜ組織を作っているのかということから出発して、組織人としての特性をI I図によって類型化してみせたが、もともと、組織の特性(ここでは活性化の程度)を一体化度と無関心度で表現しようという基本的なアイデアは、数理的な組織設計論から得られたものである。
コンティンジェンシー理論に属する調査研究は、1960年代から1970年代後半にかけて大規模に展開され、支配的位置を占めたが、「理論」という名称に反して、研究は調査が中心で、なぜ環境によって組織の最適な形態が異なってくるのかを説明する理論という点では貧弱であった。そんな中で、Lawrence & Lorsch (1967)と同年に出版されていたThompson (1967)は、コンティンジェンシー理論という用語こそ使用してはいなかったものの、March & Simon (1958)の延長線上に位置するコンティンジェンシー「理論」を提示していた。その後、Thompsonの強い影響を受けてGalbraith (1973)は情報処理モデル(information processing model)を唱え、不確実性が増大するにしたがって増大していく組織の情報処理負荷に対処するためにどのような方策がよいのかという観点から、コンティンジェンシー理論を組織設計の分析枠組みとして整理し直したが、議論は明解な反面荒っぽく、精緻さには欠ける。
そこで数理的な組織設計論(Takahashi, 1983; 1986; 1987a; 1987b; 1988)では、コンティンジェンシー理論の「理論」の提示を目指して、ある仮定を設けて、組織モデルを構築した上で、いくつかの組織設計上有用と思われる命題を導出した。それらは従来の実証的研究の成果とも合致するだけでなく、これらの命題を検証するために企画された独自の調査研究によってもそれを支持する結果が得られている(高橋, 1985; Takahashi, 1986; 1987b; 1988)。
これらの研究、特に、Takahashi (1987b; 1988)では、課業の選択過程が逐次決定問題として定式化されるような組織についての組織設計問題を経営学及び経営組織論の概念的枠組みに基づいて考察した。組織形態は組織構造と管理システムとの組で表現され、課業の逐次決定モデルの一部を構成することになる。システム1、システム2の2タイプの管理システムは環境の観測過程における伝達システムとして定義され、ピラミッド組織、マトリックス組織の2タイプの組織構造は課業の割り当てシステムとして定義されるのである。したがって、組織形態は、組織構造と管理システムによる表2.1のような組で表現される。
表2.1 組織形態
組織構造 | 管理システム | |
---|---|---|
システム1 | システム2 | |
ピラミッド組織(P) | P1 | P2 |
マトリックス組織(M) | M1 | M2 |
そこで、組織モデル及び組織構造と管理システムの定義についてみてみよう。まず、トップ・リーダー、マネジャー、単位組織の3階層からなる組織を考える。各マネジャーはある特定の地位にあり、組織全体の活動について自分の問題意識に基づいて自分で探索・考案した活動計画案をトップ・リーダーに言する。そうすると、ピラミッド組織(pyramid organization)はトップ・リーダーが各単位組織に、ある一人のマネジャーの課業を実行することを命令する組織と定義される。一方、マトリックス組織(matrix organization)では少なくとも2人のマネジャーの進言した課業をある割合で混合して実行するように、各単位組織に命令する。そのため、人的資源の運用は、命令系統の一元化の原則(例えば、Koontz, O’Donnell, & Weihrich, 1980)にこだわらずに、もっと融通を利かせて流動的に行なわれる。すなわち、マトリックス組織は、単位組織が同時に複数の課業についたり、次から次へと課業を変わったりして、2人以上のマネジャーがライン権限についているようにした組織と定義される。
ところで、同じ課業でも環境の状態に依存して異なる結果を生じることがあるが、その環境の状態については不確実性が存在している。そのために、トップ・リーダーは課業の割り当てに関する決定に先立って、環境の状態を観測する過程を導入することで不確実性に対処し、状況を大幅に改善することができる。そこで、各マネジャーは単位組織を通して環境の状態を観測することができ、必要とあらばその観測結果を伝達することができるとする。そのとき、トップ・リーダーにはマネジャーの観測結果を収集するために次の二つの代替的な手続きが考えられる。
二つの管理システム、システム1 (System 1)とシステム2 (System 2)はそれぞれこの二つの測結果の収集手続きに基づく伝達システムに対応して定義され、意思決定過程全体は逐次決定過程として定義される。
以上のような組織モデルを表2.1の四つの組織形態のうち、どの組織形態が効率的かという観点から分析してみようというわけである。ここで、「効率的な組織形態」とは最も低い損失・コストで課業を決定し、実行しうる組織形態のことを指している。
そこで、統計的決定理論の議論をこの組織設計問題に適用することになる。「不確実性」は、March & Simon (1958, p.137邦訳pp.208-209)にしたがって、次のように確実性、リスク、不確実性の三つのカテゴリーに分類された。
当然のことながら、確実性、リスク、不確実性の順に、環境の状態についてわかっていることは少なくなり、真の環境の状態が何であるかについて、確実にはわからなくなってくる。つまり、環境はより不確実なものとなり、このことを通常「不確実性が高くなる」といっている。
この三つのカテゴリーを用いて、次のような経営学的意味をもった結果が得られた。
つまり、かなり大ざっぱにまとめると、高い不確実性の下ではマトリックス組織、システム2が、低い不確実性の下ではピラミッド組織、システム1が効率的であるということがわかったのである。この命題1、2、3に示される関係は、日本企業を対象とした独自の実証研究によって支持されているが、そうした独自の調査研究を待つまでもなく、これらの経営学的意味は、経営組織論やコンティンジェンシー理論の分野ではオーソドックスなものかもしれない。実際、これらの結果は組織形態に関する従来のコンティンジェンシー理論の主要な主張のいくつかを部分的に支持している。例えば、命題1はDavis & Lawrence (1977)の主張を部分的に支持している。また、Burns & Stalker (1961)の機械的システム、有機的システムがその特徴から表2.1のP1 (ピラミッド組織でシステム1)、M2 (マトリックス組織でシステム2)にそれぞれ対応しているので(Takahashi, 1987b)、命題1と2はBurns & Stalker (1961)の主張を部分的に支持している。その意味で、不確実性下での組織形態を統計的決定理論の視点から考察することによって、組織設計問題及び経営組織論の理解を進めることができたといえる。
ところで、以上の理論的結果は、数理モデルを用いた理論の常として、いくつかの仮定の上に成り立っている。それらの組織モデルの骨格を成す基本的な仮定のうち、次の二つの基本的仮定は理論の一般性を制限するという点で重要である。
基本的仮定1を「マネジメント・チームの存在」、基本的仮定2を「複数課業の存在」と呼ぶこともできる。ここで、マネジメント・チームとは同じ損失関数、環境の状態についての同じ確率分布を共有するトップ・リーダーとマネジャーのグループのことである。「チーム」という名称はそれがMarschak & Radner (1972) のチーム(team)の定義を満たしていることからつけられた。
当初、この二つの仮定は、近い将来何らかの形で緩和されるべきものとして認識していた。しかし、実際の日本企業の調査研究が進むにしたがって、これらの基本的仮定は、理論の一般性を制限する厄介なものであるとともに、組織設計の制約条件として実際的に意味をもつものでもあることが、しだいに明らかになってきたのである。
そこで、発想を変えて、この二つの基本的仮定を組織設計の制約条件として積極的に評価することを考えてみょう。既に、数理的な組織設計論の結果として示されたように、効率的組織形態は環境、特に環境の不確実性に依存している。しかし、こうした組織設計問題に対する解答は、二つの基本的仮定の下でのみ意味をもっているものなのである。そこで、この二つの基本的仮定を満たす組織を、コンティンジェンシー理論が成立しうる組織、そして環境の不確実性に応じて組織形態を選択しうる組織、という意味で、「コンティンジェンシー組織(contingency organization)」と呼ぶことにしよう。つまり、コンティンジェンシー組織は表2.1のすべての組み合わせ、P1、P2、M1、M2の組織形態をどれであってもとることができるので、組織設計問題の解がひとたび得られれば、どのような解であっても、それの適用可能な組織ということができる。
もし、組織が基本的仮定1を満たさないのであれば、Takahashi (1987b)の定理1が成立しなくなり、サンプリング決定の権限をマネジャーの誰かに委譲することができなくなるので、組織はシステム2をとる選択肢を失う。すなわち、システム1をとるしかなくなる。したがって、表2.1でいうと、システム1の縦の列であるP1、M1だけが、とりうる組織形態となる。もし、組織が基本的仮定2を満たさないのであれば、最初から複数課業が存在しないのであるから、マトリックス組織をとる選択肢が失われ、組織はピラミッド組織をとるしかなくなる。つまり、表2.1でいうと、ピラミッド組織の横の行であるP1、P2だけが、とりうる組織形態となる。
もし基本的仮定1と2のどちらも満たされないのであれば、組織は組織構造としてはピラミッド組織、管理システムとしてはシステム1をとるしかなくなる。つまり、表2.1でいうと、可能な四つの組み合わせのうち、わずか一つP1だけが、唯一とりうる組織形態となる。このような組織は官僚制組織と呼ばれ、古典的な経営組織論の世界では唯一の組織モデルであった。いい換えると、コンティンジェンシー組織であるということは、官僚制組織と比べ、トップ・リーダーにとっての選択肢の幅を拡大することを意味し、特に、マトリックス組織とシステム2の組み合わせは、コンティンジェンシー組織の中においてのみ許される代替的組織形態なのである。
このように、コンティンジェンシー組織はそうでない組織に比べて、適当な組織形態を選択する際に障害となるような制約がないので、効率的組織構造や効率的管理システムが環境の不確実性に依存していたとしても、その効率的な組織形態を選択することができる。つまり、環境の不確実性に応じて、常に、「効率的」な組織でいることができるのである。コンティンジェンシー理論が主張するように、組織化に唯一最善の方法は存在しないが、トップ・リーダーが環境の不確実性に応じて最善の組織化の方法を選ぶことを可能にするような組織の類は存在する。それがコンティンジェンシー組織なのである。
いままでの話を組織特性という視点から整理し直してみょう。組織の特性は大きく二つの種類に分けて考えることができる。一つは長期的な特性で、組織設計の場合には所与と考えられている人的特性あるいは組織風土のような固定的なものである。これはトベフが変えようと思っても、なかなか一朝一夕には変えられない。もう一つは短期的な特性であり、組織形態のように、トップが変えようと思えば変えることができる、いわば可変的な特性である。
人的特性のような固定的で長い時間をかけないと変えられない特性は、組織形態のような可変的な組織特性を変える場合には、主に制約条件として作用することになる。それは数理的組織設計論の示唆するとおりである。そして、コンティンジェンシー理論も指摘するように、この組織形態と環境との間に適合性の問題が生じるのである。つまり、図2.1で示すような関係が成り立っていることがわかる。
図2.1 組織設計での組織の人的特性の作用
コンティンジェンシー理論では、通常、組織形態と環境(特にその不確実性)との間の適合性が論じられるが、Morse & Lorsch (1970)のように、人間の問題の重要性を主張したごく一部の例外を除くと、コンティンジェンシー理論では組織メンバーの人的特性にはほとんど注意が払われてこなかったといわれる(岸田, 1985, p.105)。しかし、組織形態と環境との間の適合性のみをみるのではなく、どの組織形態をとりうるのかについては人間的な要因を明確に制約条件として考慮すべきである、というのがまさに数理的組織設計論の示唆する重要な観点である。つまり、単なる環境適応ではなく、人間的制約条件のもとでの環境適応の組織設計を考えるということが、組織設計論のより正確な姿なのである。そして、コンティンジェンシー組織とは少なくともTakahashi (1987b; 1988)で考えられた組織形態の選択に関しては、人間的制約条件をすべてクリアーした組織なのである。
このコンティンジェンシー組織が満たすべき条件としての基本的仮定1、2が、先程の組織の活性化された状態の定義である「組織のメンバーが、(1)組織と共有している目的・価値を、(2)能動的に実現していこうとする状態」の(1)、(2)のそれぞれより特定されたものであり、内容的にほぼ一致しているということに気がつけば、組織の活性化のもつ意味がより鮮明になる。すなわち、組織は活性化されることで、組織形態の選択に関する人間的制約条件をクリアーし、こうしてコンティンジェンシー組織となった組織は常に「効率的」な組織でいることができるということが数理的な組織設計論によって示唆されているのである。
組織の活性化された状態の定義である「組織のメンバーが、(1)組織と共有している目的・価値を、(2)能動的に実現していこうとする状態」にあるメンバーが多ければ、組織は活性化された状態にあるということができるが、このことのもつ意味は、第1章での議論をふまえれば、よりはっきりしてくる。つまり、組織にとっては、組織と一体化したメンバーによって、組織的行動を維持しつつ、メンバー各自の合理性を限界にまで最大限に発揮して、合理的に意思決定を行なってくれることを前提にできるのである。あとは環境の不確実性に応じて、組織形態を適宜変更することでコストダウンを図ることができれば、組織全体の能力、生産性を高めるという点から望ましい。そのことの象徴的な一側面が、組織設計の場面での効率的な組織形態の選択可能性という形で現れたにすぎない。
組織が組織としてそのもてる能力を発揮する際の人間的制約条件が最も緩和された状態、それが活性化された状態なのである。つまり、組織を活性化させるということは、組織にその本来もてる力を発揮しやすいように、その障害となるような人間的制約条件を取り払うということなのである。『広辞苑』第3版(1983)によると、「活性化」とは「沈滞していた機能が活発に働くようになること。また、そのようにすること。」とあるが、この章で提示した組織の活性化された状態の定義である「組織のメンバーが、(1)組織と共有している目的・価値を、(2)能動的に実現していこうとする状態」は、まさに組織の本来もてる機能、力が活発に発揮されるような、最も緩和された状態の人間的制約条件を記述したものなのである。組織活性化とは組織メンバーを健全な意思決定者として覚醒させることを指しているといってよいだろう。
実際、組織の活性化された状態の定義の(1)、(2)はBarnard (1938, p.28 邦訳p.85)の組織成立の必要十分条件である「組織は、(1)相互に意思を伝達できる人々かおり、(2)それらの人々は行為を貢献しようとする意欲をもって、(3)共通の目的の達成を目指すときに、成立する。」の(3)、(2)ともほぼ一致している。つまり、「組織の活性化」は、実は組織がBarnardの使っている意味での「組織」として成立することを意味していると考えられるのである。
こうしたコンティンジェンシー組織を考えることで、業績と活性化とが必ずしも結びついたものではないということをより明解に議論することができる。つまり、もし人間的制約条件の中での選択可能な組織形態の中に、効率的組織形態がたまたま属していれば、その組織は、活性化されたコンティンジェンシー組織となっていなくても、効率的な組織形態をとることができ、それは高業績につながるのである。
例えば、もし環境の不確実性が十分に低くて、組織設計問題の解として、表2.1でいうP1つまりピラミッド組織とシステム1の組が効率的であるということがわかったとしよう。すると、基本的仮定1、2を満たしていないような組織であっても、効率的な組織形態をとることができる。したがって、高業績を挙げているからといって、活性化された状態であり、コンティンジェンシー組織となっている、とはいえないのである。
いままでの議論をふまえて、いよいよこの節では、組織の活性化された状態の定義のうち、(1)の組織と目的・価値を共有している程度を表すものとして一体化度指数を、(2)の能動的に思考している程度に関連して無関心度指数を、それぞれ設定し、その上で、この二つの指数を用いた組織の活性化分析の手法としてI I図を取り上げる。ここでいうI I図は第1章で組織人類型として概念的に取り上げたI I図を操作化して、測定可能なものにしたものである。このI I図が組織の活性化分析に有用であることを確認するために、I I図が当然もつべき性質を仮説として設定するが、その検証は次の第3章で行なわれる。
無関心圈と権威については、既に第1章で述べてあるので、ここでその説明を繰り返すことはしないが、ここでは前述の基本的仮定2との関係について触れておくことにしよう。まず無関心圈がより大きいということは、上司の命令に対して忠実で従順である範囲がより広いということを意味しているのだが、反面、その範囲の中では受動的であるわけだから、当該メンバーが受動的にふるまっている範囲も広いということになる。つまり、組織の中で受け身でいることが多いことも意味しているのである。いうなれば、いわれたことは実行するというタイプである。自分で、自分の仕事を作っていくようなことはしないだろう。前述の基本的仮定2が求めているような、部下が活動計画案を自分で立案し、上司に進言するということは起こらないのである。
逆に、無関心圈が小さければ、少なくともトップ・ダウン型の意思決定は行ないにくくなる。部下は無関心圈が小さい分だけ、より頻繁に命令の内容を意識的に反問した土で。いわば主体的に受容するかどうかを決めるので、上司にとっては忠実で従順な部下という感じではなくなるのである。しかし、命令内容が反問されることで、そして、おそらくその反問の結果としてボトム・アップ型に部下から命令内容とは異なる独自の活動計画案が進言される可能性が出てくることで、命令の内容に部下の意見が反映されていくことになるかもしれない。
また無関心圈は、上司から部下への命令という「下へ」の局面だけではなく、「上へ」の局面に も、「横へ」の局面にも当てはまる(Simon, 1976, p.12 邦訳p.15)のだということを考え合わせると、無関心圈が大きいということは、そのメンバーが単に上司に対して忠実だということだけではなく、あらゆるメンバーに対してもそのメンバーの従順さ、素直さを表しているともいえる。
こうして無関心圈の大きさは、受動的か能動的かといったメンバーの特性にかかわってくることになる。そこで、無関心圈の大きさを表す指数として無関心度指数(indifference index)を考えた。すなわち、組織メンバーの課業・処遇等に本質的に重大な影響を及ぼすはずの経営諸施策等に対して、どの程度まで無関心でいられるのかをこの指数で表した(実際の算出方法についてはこの章の付録を参照のこと)。
一体化についても、既に第1章に述べてあるので、その説明をここで繰り返すことはしない。前述の基本的仮定1との関係も明らかだろう。ここでは、一体化の程度を表す指数として一体化度指数(identification index)を考えた。無関心度指数のときと同じ組織メンバーの課業・処遇等に重大な影響を及ぼすはずの経営諸施策等に対して、個人の立場からの評価と、会社の立場からの評価がどの程度一致しているのかをこの指数で表した(実際の算出方法についてはこの章の付録を参照のこと)。
一体化の意味は、無関心圈に比べるとはるかに明らかであろう。ただし、ここで注意が必要なのは、組織全体ではなく、その下位グループに一体化している場合である。実は、ここでの一体化度指数は、会社全体に対する一体化を考えているので、下位グループに対する一体化は、反映されない可能性がある。というより、組織全体の目的・価値と下位グループの目的・価値が相反しているとき、すなわち、セクショナリズムの傾向か強いようなときには、一体化度指数は低くなるはずなのである。したがって、ある企業の一体化度指数が高いときには、全社一枚岩であることを意味しているが、一体化度指数が低いときには、次の2通りのケースが考えられるということに注意しなくてはいけない。
一体化度指数を縦軸、無関心度指数を横軸にとったグラフを、第1章での理念的図式にならって、I I図と呼ぶことにしよう。前述の無関心度指数と一体化度指数が無関心度と一体化度をそれぞれ正しく測定できるのであれば、無関心度と一体化度のもつ意味から、第1章でみてきたとおりに、I I図によってメンバーの特徴づけを行なうことができる。
その4タイプを図式化すると、図2.2のように表すことができる(図1.2の再掲)。
図2.2 I I図によるメンバーの類型化
ただし、ここで注意が必要なのは、この研究ではこうした類型化を行なうことで、4タイプの間に測定値による境界線引きを行なうことを目的とはしていないということである。その意味で、I I図はメンバー特性の判別のための図ではない。問題となっているのは、相対的な位置である。例えば、無関心度指数が高く、一体化度指数が低い(I I図の右下方)メンバーと、それに比べて無関心度指数が低く、一体化度指数が高い(I I図の左上方)メンバーとを比較すれば、前者の方がより官僚的であり、後者の方がより意思決定者的であるということであり、指数の上での差が大きければ大きいほど、その特徴が強く現れてくるだろうということである。
このI I図を使って測定分析した結果、先程の組織の活性化された状態の定義である「組織のメンバーが、(1)組織と共有している目的・価値を、(2)能動的に実現していこうとする状態」にしたがい、より無関心度指数が低く、より一体化度指数の高いタイプ3と思われるメンバーが多ければ、組織はより活性化された状態にあるということができる。
I I図を使った考察は、さらに次のような推測をも可能にしてくれる。すなわち、タイプ4は非構成員型であり、実際には、このタイプのメンバーの多い組織は組織的行動がとれずに、存続が難しくなる。それ以前の問題として、そのような傾向をもった者をメンバーとして企業が受け入れるとは考えにくい。したがって、このような近代組織論的な見地から、仮に無感心度と一体化度がそれぞれ無関心度指数と一体化度指数によって正しく測定されているとすると、次のような仮説を立てることができる。
いま、タイプ1のメンバーを中心とした組織をタイプ1の組織、同様にタイプ2、タイプ3のメンバーを中心とした組織を、それぞれタイプ2の組織、タイプ3の組織と呼ぶことにしよう。仮説1から、タイプ4の組織は考えないことにする(次の第3章で仮説1は検証されることになるので、こうしてしまっても実際上の問題は起こらない)。そこで、この3タイプの組織がもっているはずの特徴について考えてみよう。つまり、タイプ1、2、3のいずれかに組織特性を特定することで、理論的に組織がもつべき特徴が決まってくるので、逆に、組織の実際の特徴からタイプ1、2、3の組織特性を予想できるように、組織の特徴を整理してみよ。
前節のコンティンジェンシー組織に対する数理的組織設計論の議論を用いれば、タイプ1、タイプ2の2タイプは無関心度指数が高いタイプなので、前節の基本的仮定2を満たさず、マトリックス組織をとることができない。したがって、とりうる組織構造はピラミッド組織ということになる。
さらに、同じピラミッド組織であっても、タイプ1の組織は無関心度指数が高く、メンバーがトップの命令、指示に従順で素直というだけでなく、一体化度指数も高いため、セクショナリズムもなく、全社一丸となって、目標、仕事に当たるような組織である。
それに対して、タイプ2の組織は無関心度指数が高く、メンバーはトップのいったことは真面目に、かつ忠実に実行するが、一体化度指数が低く、組織の目的・価値と個人の目的・価値との間に一線を画するために、全社一丸となることはなく、メンバーはどこか覚めた目で、ビジネスライクに組織の仕事を行ない、官僚的、役人的になり、組織もお役所的な感じになっていると考えられる。あるいは、そこまでいかなくても、セクショナリズムの傾向か強いかもしれない。前節で、基本的仮定1、2のどちらも満たさない組織は官僚制組織となると述べたが、タイプ2の官僚型のメンバーが中心のタイプ2の組織は、まさにこの基本的仮定1、2のどちらも満たさない組織であり、まさしく官僚制組織となる。
これらの2タイプに比べると、タイプ3の組織の特性は、メンバーの特性だけからでは、組織として特徴づけるのが難しい。そこで、タイプ3の組織の特性については、既に述べた数理的な組織設計論の成果を用いて考察することが必要となる。タイプ3の組織は前節の基本的仮定1、2を満たすような組織、つまりコンティンジェンシー組織である。ということは、タイプ3の組織においてのみ、マトリックス組織及びシステム2の両方を選択することができるので、マトリックス組織でかつシステム2をとっている組織はタイプ3の組織と類別してかまわないはずだ。特に、マトリックス組織をとりうる、基本的仮定2を満たすうな無関心度指数が低い2タイプのうち、タイプ4は存在しないと考えられるので(仮説1)、マトリックス組織をとっている組織があれば、タイプ3の組織に類別することができる。
以上のことをまとめると、実際の組織をその組織特性から予想して「タイプ1、2、3」に分類するときのポイントは次のようになる。
ここで、「 」は予想される組織特性であることを示している。
逆に、このポイントによって組織を類別したときに、無関心度と一体化度が無関心度指数と一体化度指数によってそれぞれ正しく測定されているならば、組織設計論的な見地から、次の仮説にあるような関係が見いだされるはずである。
仮説1とともにこの仮説2が検証されると、無関心度と一体化度は無関心度指数と一体化度指数によってそれぞれ正しく測定されているということが確認できたことになる。
以上のように無関心度指数と一体化度指数の妥当性が検証・確認された上で、両指数を用いれば、組織の活性化度を比較評価することができることになる。既に述べたように、組織の活性化された状態の定義である「組織のメンバーが、(1)組織と共有している目的・価値を、(2)能動的に実現していこうとする状態」に従えば、無関心度指数が低く、一体化度指数の高いタイプ3のメンバーが中心のタイプ3の組織は、活性化された状態にある組織、すなわち、活性化組織ということになる。
以上のように、この章では第1章のI I図の組織人類型を基礎として、組織の活性化された状態の定義のうち、(1)の組織と目的・価値を共有している程度を表すものとして一体化度指数を、(2)に関連して受動的に思考している程度を表すものとして無関心度指数を設定した。この二つの指数はその算出方法を含め、試験的なものであるが、ここでの活性化の定義にある二つの要素を直接的に表現していることから、この一体化度指数と無関心度指数とからなる2次元座標に、メンバー及び組織をプロットすることで組織における活性化の程度を比較する手掛かりが得られると思われる。この図を用いて、次の第3章では、実際に7社の企業を比較するとともに、各種経営施策の効果についても、比較検討の手掛かりを得たいと思う。
各経営施策等の採用・実施状況についての質問を、文章を完成させながら答える次のような一般 的形式で作成した。
「経営施策名は(1. 行なわれている 2. 行なわれていない)が、そのことによって、私は(3. 働きがいを感じている 4. 働きがいとは関係ない 5. 働きがいを感じなくなった)。また、会社の活性化には(6. 寄与している 7. 関係がない 8. 悪影響を及ぼしている)。」
二つの指数の算出には14種の経営施策等に関する質問のうち、組織メンバーの課業・処遇等に本質的に重大な影響を及ぼすはずの五つの経営施策等の採用・実施状況についての質問の回答が用いられた。各指数の定義は次のとおり。
両指数の算出に使われた質問は次のとおり、算出に使われなかった質問項目については「」内に 経営施策等の名称のみを示す。
問 あなたの会社での諸制度の実情について現在あなたが感じていることを、以下の各項目について、文章を完成させながらお答えください。それぞれの( )内で、該当するものを一つ選んでください。
第2章では、組織の活性化された状態を定義し、その近代組織論的意味と組織設計論的意味について考察した。そして、そこで提示した組織の活性化された状態の定義である「組織のメンバーが、(1)組織と共有している目的・価値を、(2)能動的に実現していこうとする状態」が、組織の本来もてる機能、力が活発に発揮されるような、最も緩和された状態の人間的制約条件を記述したものであることも示した。組織活性化とは、組織メンバーを健全な意思決定者として覚醒させることを指しているのである。その上で、組織の活性化された状態を比較評価するための手法としてI I図法を提示し、もし、無関心度指数と一体化度指数を使うことによって無関心度と一体化度をそれぞれ正しく測定できるのであれば、そしてI I図法が有効な手法であるならば、当然見出されることが予想される、近代組織論的見地からの仮説と、組織設計論的見地からの仮説を立てた。そこで、この第3章では、実際の調査データを基にして、この二つの仮説を検証して、I I図法の有効性を検証するとともに、いくつかの事実発見を基にして、I I図法の有用性を検討することにしよう。
仮説1、2を検証するために、調査が実施された。対象となった企業は日本生産性本部の経営アカデミー「人間能力と組織開発」コースの参加者の所属企業7社である。調査は2段階に分けて行なわれた。第1段階として、1986年6月14・15の両日に、合宿形式で各社1人ずつ7人と筆者の計8人からなるグループで相互のヒアリングを行なった。この段階では、各社の会社概要、トップの経営方針、組織的特徴、社風などを中心に1社平均100分程度をかけて、報告、質疑応答等の議論を行ない、各社の特性を浮き彫りにする作業が行なわれた。
調査の第2段階は、各社での標本調査であった。当初、企業間の違いと同様に、年齢別階層間での違いも大きくなると予想されたこともあり、標本の選び方は企業間での企業特性の比較が可能になるように、まず各社において、ヒアリングの対象者を含んだ人員規模が200人から400人程度のホワイトカラーの組織単位を選び、さらにその中から、年齢別階層でみた分布がなるべく均等になるように、各社50人から60人程度を抽出した。その上で、1986年9月3日(水曜日)に各社一斉に、質問調査票を標本に選ばれた人、7社合計で385人に配布し、記入してもらった上で、匿名性を守るために、封筒に入れたものを9月8日(月曜日)までに回収するという形で標本調査が行なわれた。回収された調査票はあらかじめ決められた指示にしたがって、各社の担当者によって点検された上で、筆者がクリーニングを行なった。その結果、374人から質問調査票が回収できた。回収率は97.1%であった。このうち、無関心度指数と一体化度指数を算出するのに必要な項目にすべて回答している331人(配布人数385人の86.0%)が、ここでの分析対象になった。
まず最初に実際に331人を一体化度指数と無関心度指数とI I図上にプロットすると、図3.1のような散布図が得られる。
図3.1 I I図によるメンバーの散布図(N=331)
χ2=104.960 (p<0.0001)
Cramer's V=0.252
Kendall's τb=0.257 (p<0.0001)
Pearson's r=-0.351 (p<0 .0001)
各種の相関係数からも明らかなように、無関心度指数と一体化度指数との間には負の相関関係がみられる。しかし、この散布図をより詳細にみると、無関心度指数と一体化度指数がともに小さいような人が極端に少なかったということがわかる。このために、負の相関となっているのである。つまり組織人類型のタイプ4の非構成員型に相当する組織メンバーは、I I図上での分布で見れば少ないということがわかった。したがって、仮説1の関係が確認されたことになる。
仮説2の検証のためには、I I図で位置関係を確認する前に、各社の組織特性をあらかじめ予想して、「タイプ1、2、3」に分類しておく必要がある。調査の第1段階でのヒアリングの結果から、ここではあらかじめ次のように7社を類別した。
A社は、1970年に日本の自動車メーカー2社、米国の自動車メーカー1社の共同出資により、自動車部品メーカーとして設立されたまだ若い会社である。1981年からは米国の自動車メーカーが株式を他の2社に売却し、現在は日本の自動車メーカー2社が株式の65%と35%をそれぞれもっている。取締役は両社のOBがなり、設立からの日が浅いので、部長もまだ両社の出向で占められている。親会社が今までのところ好調であるために、従業員は親方日の丸的にやってきている。その分、従業員は素直で、トップのいうことに従順で、目標が与えられると、全社一丸となりやすい。組織の面でもセクショナリズムもみられず、一枚岩となっている。実際、1984年から1985年にかけての経営効率化プログラムでは、全社挙げての推進が功を奏し、間接部門では一人当たり20%程度の時間の効率化を達成している。さらに、調査時点で進行中の間接部門を中心とした人件費削減を目指した経営の効率化では超過勤務手当の大幅カットなどによるコストダウンを含めたかなりの荒療治でありながら、これも社員の協力を得て、きちんと実行され、目標を達成している。以上からA社はメンバーが従順でセクショナリズムもなく、典型的な「タイプ1」の組織だといえる。
B社はある電力会社の自家用電球製造工場として子会社でスタートし、現在でも株式の46.9%はその電力会社がもっている。社長、そして取締役の半分はその電力会社からきているが、取締役の残りは生え抜きになっている。B社もA社同様、社員は素直で従順である。例えば、1984年に調査当時の社長が就任し、経営計画を実行に移したとたん、全社的な推進により、年率10数%の売上高の伸びを記録している。また、セクショナリズムもあまりないので、「タイプ1」の組織だといえる。
A社、B社はともに子会社であるという共通点をもつが、これは両社が親方日の丸的で受動的な特徴をもつに至った主因とも考えられる。
C社は石油精製工場を子会社の形でもっているが、厳密には石油販売の商社である。顕著な特徴は、総務部、勤労部、経理部、運輸部などの各部門に所属したままで、全国各地の事業所の間を転勤することが頻繁に行なわれているが、部門間でのジョブ・ローテーションはなく、各部門の長は常務の担当制になっているなど、縦の締め付けが強く、セクショナリズムの傾向か現れていることである。したがって「タイプ2」の組織と考えられる。
D社は調査の前年までは、文字どおりお役所の一つだったところである。従来、職能別ライン統制型組織であり、全国に展開する局の局長がアパート、マンションの管理人にたとえられるほど、局は独立した職能別単位が同店しているにすぎなかったため、縄のれんといわれるほど、職能別セクショナリズムが顕著であった。民営化により、サービス別・商品別の事業部制を導入したりしているが、調査時点の段階ではまだ、「上からいわれれば、皆本気でやるが、自分で自分の仕事を作っていく力が弱い」とトップが発言しているように、まだまだ民営化前の特性をひきずってきている。D社は、メンバーは上からいわれることに従順ではあるが、まだセクショナリズムが残り、「タイプ2」の組織だといえる。
E社は大手の百貨店である。全社的にマトリックス的な組織運営を行なっている。例えば、部門間の横断的なプロジェクト・チーム、タスク・フォースの編成を行なうことで、水平的なネットワークの形成を目指している。さらに、人件費を抑制するために人材の積極的な再配置を推進し、本社員からパート、アルバイト、派遣社員といった準社員へ、あるいは準社員から本社員へと相互に雇用形態の転換を図る制度(圧倒的に前者の方が多いが)や、さらには店舗から本部、事業部への人材再配置など人事面での流動化を積極的に進めている。また仕事は職務ではなく人についているものだとの考え方もなされている。つまり、仕事は組織でするというより、むしろ人が行なうもので、その人が集まって組織となっていると考えるのである。以上からE社は「タイプ3」の組織に近いものであるといってよいだろう。
F社は都市銀行であり、全社的にマトリックス組織になっている。具体的には、次の2レベルで、多元的命令系統をとっている。
G社は大手の電機メーカーである。G社では社内で部門間のコミュニケーションを促進するために、各種委員会やプロジェクト・チームを編成することもしているが、何といってもこの会社の大きな特徴は、組織面での大きな流動性である。技術系の人間が営業に回ったりという組織の壁を超えた部門間の人事異動が積極的に行なわれているだけではなく、例えば「人事課」のような職能名をつけた課はほとんどなく、「○○課長のグループ」が存在し、そのグループが人事の仕事をすることになる。ただし、各グループ内で命令系統は一元的である。こうした組織のねらいは、個々のメンバーを特定の細分化された業務の担当としていちいち任命するのではなく、各グループ内で人手が必要となった業務に逐次流動的に割り当てていこうということにある。したがって、仕事の内容や量が変わっても、組織をいちいちいじらずに、人材を流動的に運用することで対処しようというのである。これはまさにマトリックス組織の発想であり、以上からG社は「タイプ3」の組織であると考えられる。
以上のような事例の類別化を基にして、次に各社の無関心度指数と一体化度指数が実際にどのようになっているのかをみることにしよう。いま、各社について無関心度指数と一体化度指数の平均値をとると、表3.1のようになる。各社の無関心度指数の平均値の間、および一体化度指数の平均値の間には有意な差がみられた。
表3.1 7社の無関心度指数と一体化炭指数の平均値
A社 | B社 | C社 | D社 | E社 | F社 | G社 | 全体 | F | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
無関心度指数 | 3.76 | 3.47 | 3.89 | 3.31 | 3.15 | 3.06 | 2.96 | 3.36 | 3.61** |
一体化度指数 | 3.68 | 3.74 | 2.82 | 2.81 | 3.26 | 3.41 | 3.29 | 3.30 | 4.23*** |
この平均値により各社をI I図上にプロットしてみると図3.2が得られる。この図から、仮説2の関係が確認された。「タイプ1、2、3」の組織は予想されたような相対的位置関係でI I図上に位置している。また、このことは「マトリックス組織はI I図上でタイプ3の組織においてのみとりうる組織構造」という数理的組織設計論から導出された仮説を支持しているので、数理的組織設計論の結論の傍証ともなっている。
図3.2 I I図による7社の特性比較
二つの事実発見が得られた。一つは、営業、技術、事務といったおおまかな職種でみたときの、メンバー特性についての事実発見である。図3.3は職種ごとの一体化度指数と無関心度指数の平均をI I図上に示したものであるが、図2.2のI I図によるメンバーの類型化を参照すると、次の事実発見が得られる。
これは通常抱かれているイメージと合致したものになっている。事務職が官僚的なのは「官僚」という言葉のとおりといってよい。営業職については、環境との境界にあって、組織と目的・価値を共有しつつ、それを文字通り積極的に実現することを、いい換えれば、活性化された状態にあることを、常に求められているわけであって、個々の営業マンはある程度自律的な意思決定者として機能することを日常的に要求されている。このことを考えると、この事実発見は納得できるとともに、組織の活性化のための一つの方策を示唆している。すなわち、組織活性化のためには、技術職、事務職といえども、できるだけ営業的な業務を入れて、それにつかせるべきであるということである。
表3.2 職極ごと、職位ごとの無関心度指数と一体化度指数の平均値
職種 | 職位 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
営業 | 事務 | 技術 | F | 部課長 | 係長・主任 | 一般 | F | |
無関心度指数 | 2.96 | 3.44 | 3.45 | 3.11* | 2.90 | 3.45 | 3.51 | 5.81** |
一体化度指数 | 3.48 | 3.18 | 3.52 | 2.58+ | 3.61 | 3.13 | 3.26 | 3.33* |
図3.3 I I図による職種の比較
図3.4 I I図による職位の比較
もう一つの事実発見は職位に関係するものだが、図3.4にみられるように、部課長クラス、係長・主任クラス、一般、とおおまかに職位に分けて、職位ごとに一体化度指数と無関心度指数の平均を求めて、I I図上に示すと、次の事実発見が得られる。
この事実発見2はごく当たり前で、説明の必要もないと思われる。裏を返せば、I I図が組織の活性化分析に有用であることの一つの傍証となりうる。
次に、無関心度指数と一体化度指数を高めたり、低めたりするためには、どのような方策が効果的であるのかを考察してみたい。もっとも、きちんとした形で方策の効果を測定しようとするならば、いくつかの組織で方策を実際に導入してみて、導入の前後で比較をするという実験をしなければならないわけだが、そうした大きな実験はなかなか機会には恵まれない。そこで、ここでは疑似的に経営諸施策の効果分析を行なってみようというわけだが、その前に、施策の効果としては、論理的にどのような可能性が考えられるのかをみてみよう。
まず一体化の現象は、組織またはグループの結果が、個人の給与、権限、昇進などと密接に関連しているときに起こりやすい(Simon, 1976, p.209 邦訳p.265)。したがって、年功序列よりも能力主義的な人事評価を行なうことで、一体化を促進することができるはずである。同様に報奨金の制度などがきちんと確立されている改善提案制度も一体化を促進するだろう。
他方、無関心圈については、Barnard (1938, p.169 邦訳p.177)は無関心圈に属する命令は、メンバーが組織と関係をもったとき、既に当初から一般に予期された範囲内にあると考えていたが、実際、無関心圏は入社時にある程度設定されていると考えることは自然であろう。入社の時点でさえ、どの企業の新入社員も同じなのではなく、既に入社決定までに各社で入社後に予想される命令を自分の無関心圈に入れられると考えた者だけが選別されていと考えるべきであろう。例えば、今回の調査対象となったある企業では1986年に男女雇用機会均等法によって開かれた総合職への道に女子大学生が応募してきたが、転勤が多いことを知って、結局一人も採用に至らなかったという。これなどその良い例であろう。したがって、入社後に無関心度指数を高めることは無関心度指数を低めることよりもはるかに難しくなるだろうということが、十分に予想される。入社後にとられる経営施策は入社時には予期されていないものなので、入社時に設定された無関心圈には属さない可能性が大きい。おそらく、入社後にとられるあらゆる経営施策は無関心度指数を低下させるだろう。
以上のような論理的な可能性をふまえた上で、経営諸施策の採用前と採用後のデータが得られたときに考えられるI I図を用いた効果分析のやり方を示す意味から、ここでは、経営諸施策について、それらが採用されて、機能していると考えている者の無関心度指数と一体化度指数の平均値と、それらが採用されていないか、またはきちんと機能していないと考えている者の無関心度指数と一体化度指数の平均値を求め、平均値の差の検定(t検定)を行なってみた。つまり、いわばメンバーの主観的な判断に基づく経営諸施策の採否を基にした効果分析を行なってみた。
その結果は表3.3に示されているが、レクリエーション施策を除いて、すべての経営施策について、「採用」と「不採用」の無関心度指数の平均値の差は負の値をとっていることがわかる。しかも、レクリエーション施策についての正の値は有意なものではない。つまり、この表3.3はあらゆる経営施策は無関心度指数を低下させるであろうという予想を裏づけている。
また、能力主義的な人事評価と改善提案制度が一体化を促進するという予想も裏付けられている。この二つの施策についての一体化度指数の平均値の差の大きさは有意なものではないが、レクリエーション施策での差がほとんど0であることを除けば、あとの経営諸施策がすべて負になっており、このことを考えると、この二つの経営施策での差が正であることは注目に値する。
さらに、この表3.3で得られた無関心度指数の平均値の差と一体化度指数の平均値の差をI I図にベクトルとして描いてみると、次の図3.5が得られる。この図のベクトルは、経営施策が採用され、機能しているとメンバーが考えるようになったことでI I図上をどの方向にどれだけ動くかということを示している。しかし、もちろんこれは厳密な正しい解釈ではない。既に述べたように、実際には、経営施策の採用前、採用後を同じメンバーについて調べて比較してみなければ意味はない。しかし、既にみてきた、論理的に考えられる施策の効果とほぼ一致していることから、この擬似的な効果分析だけからでも、I I図が経営諸施策の効果分析に応用が可能であることはある程度確かめられた。また、図3.5のようなI I図を描いてみることによって、表3.3での傾向がより容易に確認できるだけでなく、図3.2と重ね合わせることで、活性化された組織であると考えられるタイプ3の意思決定者型のメンバー中心の組織に移行するために効果がある経営諸施策についての示唆を得ることができるだろう。
表3.3 経営諸施策の採用・不採用と無関心度指数・一体化度指数
A無関心度指数 | B一体化度指数 | B/A | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
平均値 | 差 | 平均値 | 差 | |||
g. 持ち株制度 | 採用 | 3.29 | -0.16 | 3.16 | -0.34 * | 2.13 |
不採用 | 3.45 | 3.50 | ||||
j. 海外留学制度 | 採用 | 3.27 | -0.18 | 3.12 | -0.37 ** | 2.06 |
不採用 | 3.45 | 3.49 | ||||
f. 財形制度 | 採用 | 3.35 | -0.04 | 3.29 | -0.08 | 2.00 |
不採用 | 3.39 | 3.37 | ||||
i. 保養施設 | 採用 | 3.31 | -0.61 * | 3.26 | -0.53 * | 0.87 |
不採用 | 3.92 | 3.79 | ||||
b. 転勤 | 採用 | 3.22 | -0.53 *** | 3.20 | -0.37 * | 0.70 |
不採用 | 3.75 | 3.57 | ||||
c. 自己申告制度 | 採用 | 3.19 | -0.34 * | 3.19 | -0.23 + | 0.70 |
不採用 | 3.53 | 3.42 | ||||
n. 社内教育 | 採用 | 3.22 | -0.45 ** | 3.22 | -0.24 | 0.53 |
不採用 | 3.67 | 3.46 | ||||
m. 労働組合活動 | 採用 | 3.05 | -0.55 *** | 3.18 | -0.22 | 0.40 |
不採用 | 3.60 | 3.40 | ||||
d. 専門職制度 | 採用 | 3.18 | -0.70 *** | 3.27 | -0.11 | 0.16 |
不採用 | 3.88 | 3.38 | ||||
k. 社内ベン チャー制度 |
採用 | 2.93 | -0.52 ** | 3.26 | -0.05 | 0.10 |
不採用 | 3.45 | 3.31 | ||||
a. ジョブ・ロー テーション |
採用 | 3.20 | -0.47 ** | 3.29 | -0.03 | 0.06 |
不採用 | 3.67 | 3.32 | ||||
e. 小集団・ 提案制度 |
採用 | 3.22 | -0.51 *** | 3.33 | 0.13 | -0.25 |
不採用 | 3.73 | 3.20 | ||||
l. 能力主義の 人事評価 |
採用 | 3.00 | -0.76 *** | 3.40 | 0.22 | -0.29 |
不採用 | 3.76 | 3.18 | ||||
h. レクリエー ション施策 |
採用 | 3.38 | 0.34 | 3.30 | 0.01 | 0.03 |
不採用 | 3.04 | 3.29 |
図3.5 経営諸施策の採用・不採用と無関心度指数・一体化度指数
以上のような経営諸施策の採否をメンバーの主観的な判断に基づいて行なった効果分析を、実際にそれらの経営諸施策が公式に制度として存在しているかどうかという点から、客観的に裏づけをしておこう。ここに挙げた経営諸施策の実施状況は7社とも判明している。それは次の表3.4によって示される。
いま、経営諸施策の実施件数の少ない方から順に並べると、C社(8件)、A社、B社(ともに9件)、D社(11件)、E社(12件)、F社、G社(ともに13件)となっているが、この順序は、同順位を含んではいるが、無関心度指数の高い順に7社を並べたものと一致する。これはあらゆる経営施策は無関心度指数を低下させるであろうという予想をさらに裏づけるものである。
また、一体化度指数が低いタイプ2のC社、D社は他社と比較すると、ともに異部門間でのジョブ・ローテーションを行なっていないという特徴がある。これは、セクショナリズムを引き起こし、一体化度指数を低下させる一因になっていると考えられる。特にC社は7社中ただ1社だけの年功序列型の人事評価を基本にしている企業であることがわかった。これは能力主義的人事評価が一体化度指数を増大させるという予想を、より明確に裏づけていると考えられる。
表3.4 7社の経営諸施策の実施状況
タイプ1 | タイプ2 | タイプ3 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
A社 | B社 | C社 | D社 | E社 | F社 | G社 | |
g. 持ち株制度 | × | × | 1974 | 1986 | × | 1970 | ○ |
j. 海外留学制度 | × | 1978 | × | ○ | 1985 | ○ | ○ |
f. 財形制度 | 1977 | 1984 | 1980 | ○ | 1961 | 1978 | ○ |
i. 保養施設 | × | 1958 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
b. 転勤 | × | × | ○ | ○ | 1970 | ○ | ○ |
c. 自己申告制度 | 1980 | × | 1961 | × | ○ | ○ | ○ |
n. 社内教育 | 1984 | 1985 | × | ○ | 1977 | ○ | ○ |
m. 労働組合活動 | 1971 | 1946 | 1946 | 1950 | 1954 | 1946 | ○ |
d. 専門職制度 | 1985 | 1985 | × | ○ | 1978 | × | ○ |
k. 社内ベンチャー制度 | × | × | × | × | × | 1971 | × |
a. ジョブ・ローテーション | 1977 | × | × | × | ○ | 1984 | ○ |
e. 小集団・提案制度 | 1972 | 1984 | ○ | 1983 | 1979 | 1981 | ○ |
l. 能力主義の人事評価 | 1970 | 1986 | × | ○ | 1968 | 1970 | ○ |
h. レクリエーション施策 | 1971 | 1984 | 1973 | ○ | ○ | ○ | ○ |
経営施策の実施件数 | 9 | 9 | 8 | 11 | 12 | 13 | 13 |
いままでは、組織の人的特性としてのタイプ1、2、3と可能な組織形態との関係を中心に論じてきた。しかし、この関係を組織形態の環境の不確実性への適合性と結びつけて、その関連を論じることで、組織の人的特性としてのタイプ1、2、3についても、環境の不確実性への適合性が考えられるはずである。
数理的組織設計論によると、第2章第2節の命題3に示されるように、「確実性、リスク、不確実性のどのケースでも、システム1が効率的であるならば、ピラミッド組織も効率的である」という関係が成り立っているので、環境の不確実性に適合している組織を考えるのであれば、四つの組織形態のうち、システム1とマトリックス組織の組み合わせは考えなくてもかまわない。そこで、残りの三つの組織形態と、タイプ1、2、3の組織の人的特性との関係を、制約条件を考えた選択可能性という形で示し、それにさらに、数理的組織設計論によって明らかにされた組織形態が適合している環境の不確実性の程度を高・中・低と単純化して示してみると、次の表3.5のようになる。こうすると、既に述べたように「組織の人的特性→組織形態→環境の不確実性」という形で、組織形態を媒介にして、組織の人的特性と環境の不確実性との間にも、適合性を考えることができる。
表3.5 組織特性、組織形態と不確実性
組織形態 | ||||
---|---|---|---|---|
P1 ピラミッド組織 システム1 | P2 ピラミッド組織 システム2 | M2 マトリックス組織 システム2 | ||
組織の人的特性 | タイプ2 (官僚型) | ○ | × | × |
タイプ1 (受動的器械型) | ○ | ○ | × | |
タイプ3 (意思決定者型) | ○ | ○ | ○ | |
適合している環境の不確実性水準 | 低 | 中 | 高 |
この表から、タイプ2、1、3の順に、より高い不確実性に対しても、適合的になってくることがわかる。いい換えれば、この表3.5は、環境の不確実性が高まるにつれて、組織は活性化していく必要があるという重要な示唆を与えてくれる。低不確実性下では低一体化度、高無関心度のタイプ2の官僚型のメンバーが中心の組織であっても、唯一とり得る組織形態であるP1、すなわちピラミッド組織でシステム1の「官僚制組織」で環境に適合しているのであるが、不確実性が高まってくると、そのうちに、少なくとも一体化度については向上させて、せめてタイプ1の組織になり、全社一丸となる必要が出てくる。そして、高不確実性下ともなると、さらに無関心度を低下させて、各メンバーを意思決定者として覚醒させ、積極的に意思決定に当たらせて、タイプ3の活性化組織にならないと、効率的な組織形態をとることができなくなってしまう。ここに、今日のような不確実性の高まりつつある時代において、組織の活性化の必要性が叫ばれている一つの背景があるように思われる。
数理的組織設計論によって示唆されるような「人間的制約条件のもとでの環境適応の組織設計」を考えるとき、I I図は人間的制約条件の満足状態を測定し、図示するための手法という位置づけをすることができる。しかし、そうした数理的組織設計論の延長線上での位置づけだけではなく、I I図はそれ自体単独でも別の興味深い経営学的な示唆を与えてくれる。それはI I図のもっている非対称性とでもいうべき特質である。
一体化度指数が高く、無関心度指数が低いタイプ3が活性化された状態の組織であると既に述べたが、一体化度指数は高いほど良く、無関心度指数は低いほど良いというわけではない。実はタイプ3の隣に崩壊した組織とでもいうべきタイプ4があるのである。日常的によくみかけるこの類の図では、一番「良い」状態の対極(I I図でいえばタイプ2の場所)に一番「悪い」状態があることが多いが、I I図では一番「良い」状態の隣に一番「悪い」状態が位置している。これはタイプ1・タイプ2の組織、特にタイプ2の組織の活性化への道は危険をはらんでいるということを意味している。例えば、組織がどんどん活性化していく中で、個々のメンバーが活性化しすぎて組織を飛び出していってしまい、離職率が高くなるようなケースを現実の企業でも見ることができる。それは、組織がメンバー全体の平均像としてはタイプ3へと推移していく中で、無視できない数のメンバーがタイプ3への推移の道程でその軌道がタイプ4を通過することになり、非構成員の状態に陥ってしまったことを示している。その意味で活性化は両刃の剣とでもいえるような危険性をもっているわけであり、そうした観点からI I図を眺めることは、活性化について考察する際の助けとなるであろう。
今回の7社という少ない事例でも、仮説1、2の検証、及び事実発見を通して、I I図による特徴づけが当初の期待以上に明確で、かなり的を得たものであるという心証が得られた。I I図では絶対的な位置よりは、相対的な位置に、そしてベクトルの方向に意味がある。1社だけのデータでも時系列的に収集してI I図にプロッ卜していけば、その組織の状態の推移を意味づけることができる。I I図の特長は、複数の組織の間での比較、または、同一の組織の異時点間での比較という比較分析に使える点である。またI I図によって、組織の比較分析を行なうことで、組織の活性化の診断に一役買うことができるだけでなく、各種経営施策の運用上の注意や、必要な施策の種類などの示唆が得られるであろう。今回の調査に協力していただいた企業の方々に対しては、既にこのような形でのフィードバックを行なっており、好評をいただいている。I I図はその意味で、単独で使うというより、ケース・スタディや経営組織診断に入る前に使われるべきものだといえる。
「組織の活性化された状態」については、既に、第1部でその理論的背景及びその測定手法について考察した。そこでは、数理的組織設計論から得られる知見を基にして、組織活性化の枠組みを提示しており、さらにその枠組みを基にして、組織の活性化された状態を測定するために、具体的にI I図法と呼ばれる尺度と方法を開発し、その検討・検証を行なっている。しかし、この枠組みでは組織特性を四つのタイプに類型化し、活性化された状態の組織をそれらのうちの一つ、タイプ3の組織として位置づけることに成功してはいるが、他方、最悪のタイプであるタイプ4については、非構成員型のメンバーが中心の組織であり。組織としては存立しえないとの仮説を立て、また、その仮説を調査データによって、ほぼ検証もしている。それでは、現実に存在している活性化の点で問題のある組織とはいかなる状態の組織なのであろうか。この疑問がこの第2部の研究の出発点となっているのである。
そこで、この第2部では「組織が活性化していない状態」の典型として、いわゆる企業の「ぬるま湯的体質」に着目することにした。ぬるま湯の現象がどのような状態のとき発生しているのか、そして、ぬるま湯的体質が組織の活性化にどのような意味をもっているのかを明らかにするために、この第2部は2回の調査と一連の分析作業をとおして、ぬるま湯感と活性化、職務満足及びそれら相互間の関係を体系的に説明するための枠組みを提示し、それを調査データに基づいて検証することを目的としている。
そのために、第3章で扱われた1986年に実施された調査とは別個に、この第4章で扱われる1987年に実施された調査(以下「1987年調査」と略記)と、次の第5章で扱われる1988年に実施された調査(以下「1988年調査」と略記)の2回の調査を行なった(この第2部で扱う2回の調査での調査対象会社計19社は、第1部とは全く別に、A社からS社まで一貫して呼称を与えることにする)。この章で扱われる1987年調査は、ぬるま湯的体質に関しての、いわば事実発見を主目的とした調査であり、この調査データから、ぬるま湯感を説明するための枠組みとして「体感温度仮説」が立てられた。これは、湯温として組織のシステムの変化性向を表す指数である「システム温」を考え、これとメンバーの組織人としての変化性向を表す指数である「体温」との温度差によってぬるま湯感を説明しようとするものである。1987年調査データによってこの体感温度仮説は検証される。
それでは、「ぬるま湯」現象とはどういった組織現象、特に職場内や個人の意欲上の現象を表しているのであろうか。また、ぬるま湯感と職務満足等との間にはどのような関係があるのだろうか。企業のぬるま湯的体質は、組織が活性化していない状態の典型であると、とりあえずは考えているが、本当に、ぬるま湯的体質とは、組織が活性化していない状態の典型だと考えてしまってよいのであろうか。こうした一連の問題意識に基づいて、ぬるま湯感についての事実発見を主目的として、1987年調査が企画された。
1987年調査で調査対象となったのは、日本生産性本部の経営アカデミー「人間能力と組織開発」コースの1987年度の参加者の所属企業11社である。調査は質問調査票の質問を作成する前のヒアリング調査と、質問調査票を使った質問票調査の2段階に分けて行なわれた。
第1段階のヒアリング調査では、1987年6月12・13の両日に、合宿形式で集中的に1社平均70分程度をかけて、各社の会社の概要、組織的特徴、問題点、社風などを中心にして、報告、質疑応答等が行なわれた。さらに、そこで出された問題意識を基にして、この各社1人ずつの11人と筆者の計12人からなるグループで、相互に何回かのヒアリングを行ない、ぬるま湯現象を典型とする組織の不活性状態を表していると思われる職場内の現象、個人の仕事に対する意識をできるだけ具体的にリストアップしていく作業を行なった。この過程で、様々な質問項目がリストに挙げられたが、最終的には筆者がそれらを整理する形で、個人の仕事に対する姿勢に関する25の質問項目(質問4.1〜4.25)と、職場に関する25の質問項目(質問5.1〜5.25)の計50項目のリストを作成し、これを「Yes-No」形式の質問にまとめた。
調査の第2段階では、各社の職場単位での質問票調査を行なった。まず、各社のヒアリング対象者の所属する、もしくはそれに比較的近いホワイトカラーの組織単位を選び、さらにその中において、一つまたは複数の「職場」を選び、その職場の構成員に対して、原則として、全数調査を行なった。各社において選ばれた職場数は1カ所から9ヵ所まで幅があるので、各社の標本数には25人から154人まで開きがあるが、総職場数は39ヵ所、総標本数は690人、職場当たりの平均標本数は17.7人となっている。このような方法によって調査対象に選ばれた11社690人に対して、1987年8月26日(水曜日)に各社一斉に質問調査票が配布され、記入してもらった上で、9月7日(月曜日)までに回収するという形で、質問票調査が行なわれた。その結果、580人から質問調査票が回収できた。回収率は84.1%であった。回収された質問調査票は、あらかじめ決められた指示にしたがって、各社の担当者によって点検された上で、筆者がクリーニングを行った。
使用した質問調査票は、ぬるま湯現象を典型とする組織の活性化していない状態を表すと思われる。もしくは、活性化した状態を表すと思われる。前述の質問4系、5系の計50の「Yes-No」形式の質問項目の他に、個人属性に関する質問1系や一般的質問である質問2系、3系を含めたものである。
そこで、この1987年調査のデータを基にして、ぬるま湯現象について考察していくことにしよう。ぬるま湯現象を典型とする組織の活性化していない状態を表すと思われる前述の50の「Yes-No」形式の質問項目のうち、ぬるま湯感についての、いわば鍵となる質問
「5.25 職場の雰囲気を「ぬるま湯」だと感じることがある。」
について最初にみてみよう。この問いに対しては、55.4%が「Yes」、44.6%が「No」と答えている。つまり、調査対象となった人のほぼ半数がぬるま湯感を感じていることになる。ぬるま湯感を感じているかどうかというこの質問5.25ついては、会社別には有意な関連が見られたが、性別、年齢階層別、既婚・未婚別、学歴別、職種別、職位別には有意な関連は見られなかった。また、このぬるま湯感と他の質問項目との間の相関係数をみてみると、職場に関する質問項目(質問5系)との相関が高いが、個人の仕事に対する姿勢に関する質問項目(質問4系)との相関が全般的に低いという特徴のあることもわかった。このことから、ぬるま湯感は、その人の個人的特性というよりも、会社・職場の特性との関係が深いということがわかった。
しかし、いかに個人の仕事に対する姿勢に関する質問とはいえ、組織の不活性状態を表すと考えていた質問項目との間で相関があまりないということは、組織の不活性状態の代表的な現象としてぬるま湯現象を位置づけることに対して疑問を抱かせる。少なくても「典型的」とはいえないのではないだろうか。
この疑問は、調査の第1段階のヒアリングで、組織のメンバーの活性化の重要な指標と見ていた職務満足に関する質問
「4.24 自分の仕事に充実感を感じている。」
との関連をみていくと、よりはっきりしてくる。この質問に対し、62.0%の人が「Yes」、38.0%の人が「No」と答え、ほぼ6割の人が仕事に充実感を感じていると答えている。しかし、この仕事の充実感はぬるま湯感とは異なり、会社別に有意な関連があるだけではなく、性別にみれば男性の方が、年齢階層別にみれば高い年齢階層の方が、既婚・未婚別にみると既婚者の方が、学歴別にみれば高学歴の方が、職位別にみると高い地位の方が、より仕事の充実感を感じているという有意な関連がみられるのである。しかも、この仕事の充実感は、職場に関する質問項目(質問5系)、個人の仕事に対する姿勢に関する質問項目(質問4系)との相関がともに高いという特徴のあることもわかった。
この充実感についての質問4.24は、ぬるま湯感と有意な関連のあった、数少ない個人の仕事に対する姿勢に関する質問の一つで、なおかつその中では一番相関係数の高いものだった。しかし、クロス表の形で示すと表4.1のようになり、ぬるま湯感と仕事の充実感の間には有意な負の相関関係があるものの、仕事に充実感を感じている人のほぼ半数がぬるま湯感も同時に感じており、仕事の充実感とぬるま湯感との間にはかなりの重なりが存在していることもわかる。
表4.1 ぬるま湯感と充実感
4.24 自分の仕事 に充実感を 感じている | 5.25 職場の雰囲気を「ぬるま湯」 だと感じることがある。 | ||
---|---|---|---|
Yes | No | 計 | |
Yes | 175 | 176 | 351 |
No | 138 | 77 | 215 |
計 | 313 | 253 | 566 |
しかも、会社別に、ぬるま湯感を感じている比率と、仕事の充実感を感じている比率を求め、会社をプロットしてみると、図4.1のようになり、この両者の間には、全体的にはやはり負の相関関係があるが、C社については、こうした傾向からはずれる特性を示していることがわかる。C社は、71.7%がぬるま湯だと感じていて、その比率は11社中もっとも高くなっているが、一方、仕事に充実感を感じている者も72.9%もいて、この比率も11社中3番目に高いものである。つまり、C社においては、まさに仕事の充実感とぬるま湯感が共存しているのである。同様に、職場別にみてみると、ぬるま湯感と仕事の充実感の共存する職場が、C社に限らず、かなり存在していることもわかっている。
図4.1 会社別ぬるま湯感・充実感散布図
以上の調査結果から、ぬるま湯現象を単純に組織の不活性状態における典型的現象として考えることは、かえって不自然に思われる。つまり、ぬるま湯現象とはどういう現象であるのかを、単純に組織の不活性状態や、職務不満足の状態と結びつげてしまわずに、きちんとした枠組みに基づいて相互に関係づけを行なった上で説明する必要があるのである。なお、職務満足は多元的概念で、しかも、それがどんな次元から構成されているのかについては、多くの研究者の間で必ずしも意見の一致はないとされているが(坂下, 1985, p.140)、本書では、とりあえず質問4.24で職務満足を測定することにする。
そこで、原点に戻って考えてみることにしよう。職場の雰囲気を「ぬるま湯」だと感じるということはどういう現象なのであろうか。岩波書店の『広辞苑』第3版(1983)によると、「ぬるま湯(微温湯)」とは、「温度の低い湯。ぬるい湯。」とされ、「ぬるま湯につかる」とは「現在の境遇に甘んじてぬくぬくとくらす」とされている。さらに、小学館の『国語大辞典』(1981)によると、「ぬるま湯(微温湯)」とは、「温度の低い湯。ぬるい湯。ぬるみ。びおんとう」とされ、「ぬるま湯につかる」とは「安楽な現状に甘んじて呑気に過ごす」とされている。
それでは、職場のぬるま湯感を表す際の「温度」とは何を意味しているのだろうか。またそれは何によって測定できるものなのだろうか。この研究では、そのヒントを「ぬるま湯につかる」の意味の中に求めた。つまり、現状に甘んじることなく変化を求める傾向、現状を打破して変化しようとする傾向、これを変化性向と呼び、ここでは、組織としての変化性向をまず考え、変化性向が大きければ、「温度」が高く、熱いと感じ、逆に、変化性向が小さければ、「温度」が低く、ぬるま湯と感じると考えるのである。
そこで、前述の50の質問項目のうち、データ分析の結果等も参考にしながら、基本的には論理的に考えて、組織のシステムとしての変化性向を表すものと考えられる「あなたの職場に関する」質問5系の中から、次の五つの質問を選び出した。
この五つの質問のうち、5.3、5.9、5.10については「Yes」、5.14、5.20については「No」と答えた方が、変化性向が大きいと考えられる。そこで、この五つの質問に対する回答を、5.3、5.9、5.10については「Yes」と答えた比率、5.14、5.20については「No」と答えた比率について会社別にまとめると、表4.2が得られる。この五つの質問については、会社別のクロス表に1%水準、もしくは0.1%水準で有意な関連がみられた。
表4.2 システムの変化性向とシステム温
N | 質問 | システム温 SINDEX | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
5.3 1. Yes | 5.9 1. Yes | 5.10 1. Yes | 5.14 2. No | 5.20 2. No | |||
1. A社 | 19 | 84.21 | 84.21 | 89.47 | 52.63 | 89.47 | 4.00 |
2. B社 | 27 | 85.19 | 55.56 | 37.04 | 66.67 | 74.07 | 3.19 |
3. C社 | 55 | 56.36 | 63.64 | 63.64 | 43.64 | 45.45 | 2.73 |
4. D社 | 18 | 61.11 | 50.00 | 66.67 | 5.56 | 66.67 | 2.50 |
5. E社 | 96 | 81.25 | 80.21 | 68.75 | 62.50 | 79.17 | 3.72 |
6. F社 | 78 | 64.10 | 65.38 | 37.18 | 41.03 | 28.21 | 2.36 |
7. G社 | 65 | 70.77 | 61.54 | 60.00 | 44.62 | 49.23 | 2.86 |
8. H社 | 53 | 75.47 | 60.38 | 69.81 | 47.17 | 39.62 | 2.92 |
9. I 社 | 26 | 92.31 | 92.31 | 53.85 | 88.46 | 65.38 | 3.92 |
10. J 社 | 40 | 82.50 | 82.50 | 45.00 | 57.50 | 47.50 | 3.15 |
11. K社 | 48 | 68.75 | 39.58 | 52.08 | 58.33 | 62.50 | 2.81 |
全体 | 525 | 73.33 | 66.86 | 57.52 | 52.00 | 55.43 | 3.05 |
χ2 | 26.40** | 44.47*** | 38.93*** | 44.45*** | 70.55*** | F=8.80*** |
この五つの質問を基にして、各個人について、5.3、5.9、5.10については「Yes」ならば1点、「No」ならば0点を与え、5.14、5.20については「Yes」ならば0点、「No」ならば1点を与えて、ダミー変数化した上で、これらの5問の合計点を「SINDEX」と定義し、これを「システム温」(system temperature)と呼び、これによって、組織のシステムとしての変化性向をみることにした。システム温は組織のメンバーがつかっている湯の温度を表しているものであるが、湯温という用語を用いると、システムの温度ではなく、回答者の周囲の人々の温度を表しているかのような誤解を与えるので、ここではあえてシステム温という用語を用いることにする。システム温は0、1、2、3、4、5の値をとるが、今回の調査データを基にした計算の結果では、分布は表4.3のようになる。
表4.3 システム温の分布
システム温 SINDEX | 度数 | 相対 度数 |
---|---|---|
0 | 20 | 3.8 |
1 | 57 | 10.9 |
2 | 88 | 16.8 |
3 | 141 | 26.9 |
4 | 149 | 28.4 |
5 | 70 | 13.3 |
そこで、このシステム温とぬるま湯感の関係をみるために、前述の質問5.25で、職場の雰囲気をぬるま湯と感じている人を「ぬるま湯」群と呼び、そうではない人を「非ぬるま湯」群と呼び、両者の間で、システム温についての平均値の差の検定を行なってみた。すると、表4.4のような結果が得られた。つまり、予想通り、「ぬるま湯」群の方が、SINDEXが0.1%水準で有意に低く、システム温が低いことが確かめられたのである。
表4.4 ぬるま湯感とシステム温
質問5.25 | N | システム温 SINDEX |
---|---|---|
1. Yes (ぬるま湯) | 292 | 2.72 |
2. No (非ぬるま湯) | 233 | 3.46 |
全体 | 525 | 3.05 |
以上のことから、システム温によって、個人のぬるま湯感を説明することは、有望そうである。それでは、このシステム温を使うことで、会社別にみたときのぬるま湯感を説明できるであろうか。つまり企業のぬるま湯的体質を説明することができるであろうか。会社別のシステム温については、既に、表4.2に示してあるが、各社のシステム温の平均には0.1%水準で有意な差がみられるものの、11社中で最高の71.7%の人がぬるま湯感を感じている前述のC社のシステム温が、この表4.2では2.73になっていて、システム温か特に低いというわけではない。したがって、ぬるま湯感を説明するためには、システム温だけではまだ不十分と考えた方が良いようである。また組織のシステム的側面に着目するだけでは、C社のような職務満足の高い会社で、なぜぬるま湯感が強いのかを説明することができないということも明らかである。そこで、ぬるま湯感を説明するための新たな枠組みが必要となるのである。
組織のシステムの変化性向であるシステム温だけを基にしてぬるま湯感を説明することは、C社のようなケースには不十分であるということがわかった。それでは、どのような説明が考えられるだろうか。C社のもつ特徴について、もう一度思い起こしてみよう。C社は71.7%がぬるま湯と感じていて、11社中最も高い一方で、仕事に充実感を感じているものも72.9%と11社中3番目に高かった会社である。そのことを考え合わせると、ぬるま湯感には、単に、組織のシステム側の要因だけではなく、人の側にも原因がありそうである。そこで、次のように考え、仮説を立ててみることにしよう。
生物としての人間の体温は、誰でも約36〜37度でほぼ一定している。だから、システム温という湯の温度を考えて、ぬるま湯感を説明することを自然に思いついたのである。しかし、組織人としての人間の体温は、果たして、誰でも、いつでも一定なのであろうか。つまり、C社のメンバーのような仕事の充実感の高い人は、実は組織人としての体温も高いのではないだろうか。そして、ぬるま湯と感じるか熱湯と感じるかということは、組織人としての体温をベースとした体感温度の問題なのではないだろうか。
ここで「体温」とは、組織のメンバーの組織人としての変化性向であり、組織のメンバーが現状を打破して、変化をもたらそうとする意欲がどの程度あるのかを表す指数と考えられる。一方、「システム温」とは、既に定義したように、組織のシステムとしての変化性向であり、組織のシステムがメンバーの変化を受け止め、あるいは促す仕組み、制度にどの程度なっているのかを表す指数であった。そこで、組織人としての変化性向としてBINDEXを定義し、これを「体温」(body temperature)と呼び、この体温とシステム温との温度差で、ぬるま湯感を説明することを考えよう。つまり、思いきって単純化し、体感温度を
のように定義し、ぬるま湯感が「体感温度」(effective temperatureまたはbodily sensation temperature)によって説明できると考え、次のような仮説を立てる。
図4.2 体感温度仮説
(A)システム温・体温と体感温度
(B)体感温度による相対度数折れ線
実は、この体感温度算出式は、システム温と体温が「同一単位」で測定されているということを暗黙のうちに前提としているが、この前提については、後で、多変量解析によるデータの分析によって、吟味が行なわれることになる。そこで、とりあえず、ここでは調査データを基にして、この体感温度仮説を検証することを考えてみょう。
体感温度仮説を検証するためには体温について定めなくてはいけない。そこでまず、システム温と同様にして、データ分析の結果等も参考にしながら、基本的には論理的に考えて、今度は、質問4系の「あなたの仕事に対する姿勢に関する」質問の中から、組織人としての変化性向を表す質問項目と考えられる次の五つの質問を選び出した。
このうち、4.7については「No」、他の4.8、4.10、4.14、4.25については「Yes」と答えた方が変化性向が大きいと考えられる。
そこで、SINDEXと同様にして、この五つの質問を基にして、各個人について、4.7については 「Yes」ならば0点、「No」ならば1点、他の4.8、4.10、4.14、4.25については「Yes」ならば1点、「No」ならば0点として点数を与え、ダミー変数化した上で、この五つの質問について点数を合計したものを「体温(BINDEX)」と呼び、定義し、これによって、組織人としての変化性向をみることにした。体温(BINDEX)はシステム温(SINDEX)と同様に0、1、2、3、4、5の値をとり、今回の調査データを基にして計算した体温の分布は次の表4.5のようになる。
表4.5 体温の分布
体温 BINDEX | 度数 | 相対 度数 |
---|---|---|
0 | 17 | 3.2 |
1 | 29 | 5.5 |
2 | 54 | 10.3 |
3 | 104 | 19.8 |
4 | 163 | 31.0 |
5 | 158 | 30.1 |
ぬるま湯感と個人の仕事に対する姿勢に関する質問との間に、あまり相関が高くなかったことを反映して、表4.6に示すように、「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群との間では体温の平均値に有意な差はみられなかった。
表4.6 ぬるま湯感と体温
質問5.25 | N | 体温 BINDEX |
---|---|---|
1. Yes (ぬるま湯) | 292 | 3.64 |
2. No (非ぬるま湯) | 233 | 3.56 |
全体 | 525 | 3.60 |
この五つの質問に対する回答とBINDEXを会社別にまとめると表4.7が得られる。この五つの質問のうち、4.7、4.8については会社別のクロス表に有意な関連がみられたが、他の三つについては5%水準で有意な関連は見いだされなかった。しかし、各社について体温の平均を求めると、平均については0.1%水準で有意な差がみられる。これによると、予想されたとおり、C社はやはり休温の平均値も4.04と高く、充実感と同様に、11社中3番目に高い値になっている。
表4.7 組織人としての変化性向と体温・体感温度
N | 質問 | 体温 BINDEX | 体感温度 T | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
4.7 2. No | 4.8 1. Yes | 4.10 1. Yes | 4.14 1. Yes | 5.25 1. Yes | ||||
1. A社 | 19 | 78.95 | 94.74 | 94.74 | 89.47 | 47.37 | 4.05 | -0.05 |
2. B社 | 27 | 74.07 | 70.37 | 85.19 | 85.19 | 37.04 | 3.52 | -0.33 |
3. C社 | 55 | 60.00 | 92.73 | 92.73 | 92.73 | 66.45 | 4.04 | -1.31 |
4. D社 | 18 | 44.44 | 83.33 | 88.89 | 83.33 | 44.44 | 3.44 | -0.94 |
5. E社 | 96 | 56.25 | 84.38 | 86.46 | 88.54 | 52.08 | 3.68 | 0.04 |
6. F社 | 78 | 41.03 | 70.51 | 79.49 | 83.33 | 48.72 | 3.23 | -0.87 |
7. G社 | 65 | 36.92 | 75.38 | 84.62 | 93.85 | 53.85 | 3.45 | -0.58 |
8. H社 | 53 | 58.49 | 58.49 | 84.91 | 77.36 | 47.17 | 3.26 | -0.34 |
9. I 社 | 26 | 92.31 | 96.15 | 100.00 | 100.00 | 65.38 | 4.54 | -0.62 |
10. J 社 | 40 | 47.50 | 90.00 | 97.50 | 90.00 | 72.50 | 3.98 | -0.83 |
11. K社 | 48 | 52.08 | 58.33 | 79.17 | 87.50 | 47.92 | 3.25 | -0.44 |
全体 | 525 | 54.29 | 77.71 | 86.86 | 88.00 | 53.33 | 3.60 | -0.55 |
χ2 | 40.28*** | 46.81*** | 17.40+ | 14.91 | 16.50+ | F=4.07*** | 3.34*** |
そこで、仮説の検証にとりかかることにしよう。ただし、仮説では、「ぬるま湯」と感じる人と「熱湯と感じる人という分類を用いているが、今回の調査では質問5.25しか使うことができないので、「ぬるま湯」「非ぬるま湯」という分類しか用いることができない。このため「非ぬるま湯」の中に、熱湯だけではなく、「適温」の人なども入ってくることが考えられる。そのため、仮説3の図4.2 (A) (B)の「ぬるま湯」「熱湯」群ほどには「ぬるま湯」「非ぬるま湯」群がきれいに分れないことが考えられる。
まず、体温を縦軸、システム温を横軸とする散布図にメンバーをプロットしてみょう。その結果は、図4.3の(A) (B) (C)のようになった。傾向としては、仮説どおりの傾向が表れている。ただし、やはり、図4.2 (A)ほどにはきれいに分かれていない。実際、図4.3 (C)の分布は仮説の中で「熱湯」としていた位置だけではなく、右上隅にも分布していて、分布の中心はむしろこの右上隅の方である。このことは「非ぬるま湯」群の大部分がいわば「適温」に分類すべきメンバーであったことを示唆している。
図4.3 体温・システム温散布図
(A)全体
Cramer's V=0.146 χ2=56.021***
(B)「ぬるま湯」
Cramer's V=0.158 χ2=36.470+
(C)「非ぬるま湯」
Cramer's V=0.219 χ2=55.980***
(注)網掛けしたセルは相対度数5%以上の度数のセル。
さらに、「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群とで、体感温度Tに差が認められるかどうかをみてみることにしてみょう。体感温度を計算して求めると、表4.8にあるように、「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群とでは、体感温度の平均値に有意な差があり、仮説どおりに、「ぬるま湯」群の体感温度の方が「非ぬるま湯」群の体感温度よりも低いことがわかった。
表4.8 ぬるま湯感と体感温度
質問5.25 | N | 体感温度 T |
---|---|---|
1. Yes (ぬるま湯) | 292 | -0.91 |
2. No (非ぬるま湯) | 233 | -0.09 |
全体 | 525 | -0.55 |
以上のことは、表4.9のように、「ぬるま湯」群、「非ぬるま湯」群両者の分布を相対度数でみるとより明確になる。この表4.9をもとにして相対度数折れ線を描くと図4.4のようになり、仮説3の図4.2 (B)とほぼ同じ図が得られる。ただし、やはり図4.2 (B)ほどには、はっきりと両群の分布は分かれてはいない。図4.4は図4.2 (B)との対応の関係で相対度数折れ線になっているが、相対度数折れ線ではなく度数折れ線を描くと、「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群の度数折れ線の交差する点が、体感温度-1と0の間にあることから、判別の境界を整数にとれば、T≦-1ならば「ぬるま湯」、T≧0ならば「非ぬるま湯」と判別するとき、誤判別は200人、誤判別率38.1%と最小になる。
表4.9 ぬるま湯感と体感温度の分布
質問5.25 | 体感温度 T | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
-5 | -4 | -3 | -2 | -1 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 計 | |
1. Yes (ぬるま湯) | 1 | 17 | 27 | 56 | 84 | 58 | 28 | 12 | 6 | 2 | 1 | 292 |
(0.34) | (5.82) | (9.25) | (19.18) | (28.77) | (19.86) | (9.59) | (4.11) | (2.05) | (0.68) | (0.34) | (100.00) | |
2. No (非ぬるま湯) | 2 | 1 | 8 | 31 | 51 | 60 | 44 | 25 | 9 | 2 | 0 | 233 |
(0.86) | (0.43) | (3.43) | (13.30) | (21.89) | (25.75) | (18.88) | (10.73) | (3.86) | (0.86) | (0.00) | (100.00) | |
計 | 3 | 18 | 35 | 87 | 135 | 118 | 72 | 37 | 15 | 4 | 1 | 525 |
図4.4 相対度数折れ線
会社別に体感温度の平均値を求めたものは既に表4.7に示してあるが、0.1%水準で会社によって体感温度の平均値に有意な差のあることがわかる。その中で、ぬるま湯感を感じているメンバーの比率が最も高かったC社の体感温度は一番低くなっている。また会社別にシステム温、体温の平均値を求め、散布図に会社をプロッ卜してみると、図4.5のようになり、C社が予想された「ぬるま湯」領域にプロッ卜される。以上のことから、システム温と体温を使って、企業のぬるま湯的体質をかなり説明することができるということがわかる。
図4.5 会社別散布図(破線は平均値)
この研究では、システム温、体温、したがって体感温度も、その算出式における各質問項目(これは、「Yes-No」形式の質問を0-1形式にダミー変数化してある)を等しいウェイト1で単純に加減算したものになっている。そこでここでは、多変量解析によるデータの分析結果も考慮した上で、等ウェイトで実用上問題がないかどうかを検討・吟味してみることで、体感温度仮説の妥当性について多変量解析の角度からも吟味してみることにしよう。
システム温を算出する基となった質問5.3、5.9、5.10、5.14、5.20について主成分分析を行なってみると、各主成分に対応する固有値は、1.565、0.969、0.958、0.772、0.735となり、第1主成分だけが1を超えていて、第2主成分以下は固有値の値が急に小さくなっている。したがって、この第1主成分だけをみることにする。第1主成分に対応する固有ベクトルから、各質問項目に対する重み係数を求めると、第1主成分Sは、
となり、5.20に対する重み係数が小さめではあるが、各質問項目に対する重み係数はほぼ一定しているとみることができそうである。
同様に、体温を算出する基となった質問4.7、4.8、4.10、4.14、4.25について主成分分析を行なってみると、各主成分に対応する固有値は、2.050、0.847、0.769、0.741、0.592となり、第1主成分だけが1をはるかに超えていて、第2主成分以下は固有値の値が急に小さくなっている。したがって、この第1主成分だけをみることにする。第1主成分に対応する固有ベクトルから、各質問項目に対する重み係数を求めると、第1主成分Bは、
となり、各質問項目に対する重み係数はS以上にほぼ一定したものになっている。
以上のことから、主成分分析によって、もとの変数群のバラツキを最も良く表現するような合成変数S、Bを求めて、それを基にしてぬるま湯感の分析を行なったとしても、等ウェイトの場合とそれほど異なる結果になるとは考えにくい。
実際、システム温、体温、体感温度を以上の第1主成分の重み係数を使って計算し直した上で、「ぬるま湯」「非ぬるま湯」群の間での平均値の差の検定を行なうと、その結果は、表4.10のようになり、等ウェイトの場合と同様の結果が得られる。また、会社別にS、Bの平均値をとって散布図として会社をプロッ卜してみると図4.6のようになり、2本の平均値線によって区切られた四つの領域に属する会社の構成は変わらず、やはり等ウェイトの場合と同様な結果が得られる。したがって、本研究では等ウェイトにして体感温度の算出式を考えたが、主成分分析を行なって求めた場合でも、これとほぼ同様の結果をもたらすことがわかった。
表4.10 第1主成分によるシステム温・体温・体感温度
質問5.25 | N | S | B | S-B |
---|---|---|---|---|
1. Yes (ぬるま湯) | 292 | 1.22 | 1.64 | -0.41 |
2. No (非ぬるま湯) | 233 | 1.52 | 1.60 | -0.08 |
全体 | 525 | 1.36 | 1.62 | -0.27 |
t | -5.87*** | 0.65 | -5.29*** |
図4.6 第1主成分による会社別散布図(破線は平均値)
次に、システム温の算出に用いた5.3、5.9、5.10、5.14、5.20の質問5系の5問、体温の算出に用いた4.7、4.8、4.10、4.14、4.25の質問4系の5問の計10問を基にして、質問5.25の「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群の判別分析を行なってみた。その結果得られた線形判別関数は次のようになった。
この線形判別関数を基にしてuを計算し、u<0のとき「ぬるま湯」、u>0のとき「非ぬるま湯」と判別するとよいことになる。
システム温を計算するのに用いた質問5系の各質問項目に対応している係数は5.3、5.20で多少ばらついているが、符号はすべて正である。他方、体温を計算するのに用いた質問4系の各質問項目に対応している係数は4.10を除いてすべて負となっており、その大きさもほぼ一定していると考えてよさそうである。このように、質問5系には正、質問4系にはほぼ負という係数の符号が得られたことで、「体感温度=システム温―体温」によってぬるま湯感をとらえようとした本研究での試みが、かなり的を射たものであったことが、判別分析の結果からも確認されたと考えられる。
実際に、この線形判別関数を用いたときの判別の結果は表4.11のようになっているが、誤判別は187人、誤判別率は35.6%となっていて、誤判別率は低いとはいえない。システム温、体温を等ウェイトで求めたときの誤判別200人、誤判別率38.1%をこの判別分析の結果と比較すると大差なく、本研究での方法が多少なりとも有効なものであったことがわかる。
表4.11 判別結果の比較
質問5.25 | 判別分析による判別結果 | 体感温度による判別結果 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
1. Yes | 2. No | 計 | 1. Yes | 2. No | 計 | |
1. Yes (ぬるま湯) | 182 (62.3) | 110 (37.7) | 292 | 185 (63.3) | 107 (36.6) | 292 |
2. No (非ぬるま湯) | 77 (33.1) | 156 (66.9) | 233 | 93 (39.9) | 140 (60.1) | 233 |
計 | 259 | 266 | 525 | 278 | 247 | 525 |
以上のことから、体感温度の算出式を等ウェイトに設定していても、実用上は問題なく、今回のデータで見る限り、多変量解析の結果ともかなりよく符合するものであることが明らかになった。このことと同時に、体感温度仮説の妥当性もある程度確認された。
第4章では、ぬるま湯現象を説明するために体感温度仮説を立て、その検証を行なった。この章では、さらにぬるま湯感と職務満足との関係についての枠組みも考察し、この枠組みの検証と、体感温度仮説の追試を行なう。そのために、1988年に中間管理職に対象を絞って、調査を企画実施した。この1988年調査によっても体感温度仮説は検証され、職務満足とぬるま湯感との枠組みも検証された。また、ぬるま湯感を感じている中間管理職が多いという事実も判明したが、このことも体感温度仮説によって説明できることがわかった。体感温度仮説を基にした一種の組織診断法は、1987年調査の調査対象企業によって自ら試みられていて、職場診断の手法としての成果も挙げているが、体感温度仮説から生まれたBS図によって、ぬるま湯と活性化との関係も明らかにされる。
前章では、ぬるま湯感を説明するために、体感温度仮説を立て、その検証を行なうことで、システム温と体温を用いてぬるま湯感を説明できることがわかった。それでは、体感温度仮説を立てるきっかけともなったC社にみられるような、仕事の充実感、すなわち、本書でいう職務満足とぬるま湯感の共存する会社を、このシステム温と体温を使って、どのように説明することができるだろうか。
人間関係論の誕生以来、1930年代から、職務満足(job satisfaction)と職務遂行(job performance)との間に有意な関係を見出すことに多くの努力がなされてきた。職務満足との関係で用いられる職務遂行という用語は、中性的というよりポジティブに優れた職務遂行や高い生産性の意味で使用されることがあるが、人間関係論には「幸福な労働者は能率的かつ生産的労働者である」という仮説があった。ところが、職務満足が職務遂行を生むというこの仮説に対して、米国では1950年代中頃から疑問がもたれ始め、これに代わって、逆に、職務遂行が職務満足を生むというモデルが採用され始め、1970年頃には確立されたものになっているといわれている(二村, 1977)。
例えば、Vroom (1964, ch.6)は、職務満足あるいは従業員態度と職務遂行との相関についての20の研究をレビューの上、まとめて、(1)職務満足と職務遂行との間には単純な関係は存在しないということ、そして、(2)職務満足と職務遂行の関係の強度及び方向に影響する条件は不明である、と結論づけている。前述のように、職務満足は、人間関係論等において独立変数として位置づけがなされていたが、多くの調査研究の結果、独立変数であるということに疑問が投げかけられたのである。高い職務満足が高い職務遂行をもたらすのか、それとも高い職務遂行が高い職務満足をもたらすのか、あるいは果たして両者の間には本当に相関があるのかということについて、理論的な説明の必要性が出てきたのである。
そこで、Vroom (1964, p.264 邦訳p.301)自身は、職務満足と職務遂行とはまったく異なる要因から生起するものであり、職務満足は職務から得られる報酬の量に強く影響され、職務遂行は報酬獲得のための基盤に強く影響されると結論づけるのが妥当であろうとしている。
このVroomの考えをヒントにして、Lawler & Porter (1967)は職務満足データの解釈のための新しい理論的モデルを考え出した。このモデルは、職務遂行と職務満足との間に、第3の変数である報酬(rewards)を入れて、関係付けることが可能であると主張するものである。つまり、
したがって、以上の理論的モデルの帰結として、職務遂行と報酬との間には不完全な関係しかないために、職務満足と職務遂行との間には弱い正の相関が見られることが予想されるというのである。
そこで、本研究ではLawler & Porterのこの理論的モデルを基礎にして、体温、システム温と職務満足を関係づける枠組みを考える。いま、組織メンバーが現状を打破して変化をもたらそうという職務遂行をしていると考えよう。この職務遂行のレベルは体温として測定されているものである。すると、外発的報酬は、組織のシステムが、組織メンバーの現状を打破しようとしている職務遂行を受け止め、あるいは促す仕組み、制度になっているかどうかによって大きく左右される。つまり、システム温が高ければ、職務遂行と外発的報酬の関係は強まり、連動することになるが、システム温が低ければ、システム側は変化性向が小さく、現状を維持するので、現状を打破して変化をもたらそうという職務遂行に対する外発的報酬は低いままに維持される。したがって、次のような関係が存在すると考えられる。
図5.1 体温・システム温と職務満足
また、システム温と外発的報酬との間に、図5.1のような関係があるのであれば、年功序列型の人事制度をとっている場合には、能力主義や業績主義の人事制度をとっている場合よりも、当然、システム温か低くなることが考えられる。さらに、このように、システム温か低い場合のうちでも、職務遂行レベルが高く、体温が高い場合には、システム温の低さは、自分の勤務評定に対する不当感をもたらすことになるだろう。つまり、体感温度が低いということは、組織メンバーの体温が高い場合には、自分の勤務評定の正当性に対して疑問を抱いている可能性が高いことを意味している。したがって、次のような仮説を立てることができる。
図5.1に示されるようなモデルは、第4章の1987年調査で取り上げたC社のようなケースをもうまく説明することができる。C社のメンバーは調査結果からも明らかなように、体温が高く、現状を打破しようとする職務遂行のレベルが高いので、直接的に関係する内発的報酬も、仕事に対する充実感(=職務満)も高くなっている。しかし、そうしたメンバーの職務遂行を受け止め、あるいは促す仕組み、制度が組織、職場のシステム側には用意されていないのである。
C社では、表4.2にあった質問5.3の調査結果にも表れているが、評価制度については、大きな業績を残したかどうかよりも、失敗があったかどうかが重要視される傾向かあり、一度の失敗がその後の評価に後々まで継続的に影響することが多いといわれる。また、計画的な異動は最近始まったばかりで、異動等に関する自己申告制度も十分に機能しているとはいえない。そのため、同部署に長く在籍する者が比較的多く、質問5.14の結果にも見られるように、仕事の進め方も従来からのやり方を自然と継続・踏襲することが多くなっている。そして、質問5.10の結果にもみられるように、昇進制度においては、評価が中程度の者が高い評価の者と同時に昇進することが多く、抜擢人事のようなことはほとんどないといってよい。査定の上下による昇給、賞与の金額差も比較的小さい。
このような特徴をもっているために、C社ではシステム温か低く、職務遂行のレベルが外発的報酬にほとんど影響しないということになる。したがって、体温が高い分だけ、仕事に対する充実感は内発的報酬を経由して高くなっているが、一方で、その分だけぬるま湯感も高いという特徴が現れてくるのである。つまり、システム温が低い会社では、体温が高くなるほど、職務満足もぬるま湯感も高まるというメカニズムが、このモデルによって明らかにされたことになる。
これまで、第4章での企業のぬるま湯的体質についての調査とぬるま湯感を説明するための体感温度仮説の検証に引き続いて、この章では職務満足と体温、システム温についての枠組みについて考察してきた。そこで、1987年調査によって、裏付けられた体感温度仮説が、より一般的に妥当性をもつものであるかどうかを確認するために、そして、職務満足と体温、システム温についてのモデルについての仮説を検証するために、1988年調査が企画、実施された。この1988年調査は中間管理職を対象として行なわれた。
1988年調査で調査対象となったのは、1987年調査と同様に、日本生産性本部の経営アカデミー「人間能力と組織開発」コースの今度は1988年度の参加者の所属企業8社である。調査は1987年調査と同様の手順を踏んで、質問調査票の質問を作成する前のヒアリング調査と、質問調査票を使った質問票調査の2段階に分けて行なわれた。
第1段階のヒアリング調査では、1988年6月17・18の両目に、合宿形式で集中的に1社平均70分程度をかけて、各社の会社の概要、組織的特徴、問題点、社風などを中心にして、報告、質疑応答等が行なわれた。さらに、そこで出された問題意識を基にして、この各社1人ずつの8人と質問票調査には参加しなかった会社の2人、そして筆者の計11人からなるグループで、相互に何回かのヒアリングを行ない、職場内の現象、個人の仕事に対する意識の状態をできるだけ具体的にリストアップしていく作業を行なった。この過程で、様々な質問項目がリストに挙げられたが、最終的には筆者がそれらを整理する形で、個人の仕事に対する姿勢に関する25の質問項目と、職場に関する25の質問項目の計50項目のリストを作成した。これに1987年調査でシステム温、体温を算出するために用いた個人の仕事に対する姿勢に関する五つの質問項目と、職場に関する五つの質問項目をそれぞれに加えて、30問ずつの計60問の質問項目リストを作成した。
調査の第2段階では、各社の職場単位での質問票調査を行なった。1987年調査とは異なり、調査対象者は中間管理職に限定することにした。まず、各社のヒアリング対象者の所属する、もしくはそれに比較的近い組織単位を選び、さらにその中において、一つまたは複数の「職場」を選び、その職場の中間管理者に対して、原則として、全数調査を行なった。各社において選ばれた職場数は2ヵ所から9ヵ所まで幅があるので、各社の標本数には30人から190人まで開きがあるが、総職場数は37ヵ所、総標本数は770人、職場当たりの平均標本数は20.8人となっている。このような方法によって調査対象に選ばれた8社770人に対して、1988年8月31日(水曜日)に各社一斉に質問調査票が配布され、記入してもらった上で、9月5日(月曜日)までに回収するという形で、質問票調査が行なわれた。
その結果、626人から質問調査票が回収できた。回収率は81.3%であった。回収された質問調査票は、あらかじめ決められた指示にしたがって、各社の担当者によって点検された上で、筆者がクリーニングを行なった。使用した質問調査票は、前述の60の「Yes-No」形式の質問項目の他に、1987年調査と同様の個人属性や一般的質問、及び、仮説5に対応して設けられた会社に対する評価についての質問を含めたものである。
1988年調査では、1987年調査と同じぬるま湯感についての質問「職場の雰囲気を「ぬるま湯」だと感じることがある。」に対しては、69.7%が「Yes」、30.3%が「No」と答えている。これは、1987年調査で「Yes」が55.4%、「No」が44.6%と調査対象となった人のほぼ半数がぬるま湯感を感じていたことと比べると、ぬるま湯感を感じている大が7割という高レベルになっている。このように中間管理職にぬるま湯感が高いことは、後述するように、体感温度仮説によってうまく説明することができるので、ここでは、ぬるま湯感に偏ったデータとなっていることに注意しながら、さっそく1987年調査と同じ質問項目を用いて、システム温、体温を求めてみることにしよう。
1987年調査と同様に、体温を縦軸、システム温を横軸とする散布図にメンバーをプロットしてみると、その結果は、図5.2の(A) (B) (C)のようになった。傾向としては、仮説に近い傾向か表れている。ただし、1987年調査と同様に、やはり、図4.2 (A)ほどにはきれいに分かれてはいない。図5.2 (C)の分布は、「非ぬるま湯」群の分布の中心が右上隅になっていて、いわば「適温」に分類すべきメンバーが中心になっていることを示唆している。
図5.2 体温・システム温散布図
(A)全体
Cramer's V=0.111 χ2=37.736*
(B)「ぬるま湯」
Cramer's V=0.111 χ2=26.066
(C)「非ぬるま湯」
Cramer's V=0.226 χ2=47.774**
(注)網掛けしたセルは相対度数5%以上の度数のセル。
さらに、システム温SINDEX、体温BINDEXをもとにして体感温度Tを計算して求めてみると、表5.1にあるように、「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群とでは、体感温度の平均値に有意な差があり、第4章の仮説3のとおりに、「ぬるま湯」群の体感温度の方が「非ぬるま湯」群の体感温度よりも低いことがわかった。
表5.1 ぬるま湯感と体感温度
質問5.25 | N | システム温 SINDEX | 体温 BINDEX | 体感温度 T |
---|---|---|---|---|
1. Yes (ぬるま湯) | 422 | 2.90 | 4.09 | -1.19 |
2. No (非ぬるま湯) | 187 | 3.43 | 4.10 | -0.66 |
全体 | 609 | 3.06 | 4.09 | -1.03 |
t | -4.85*** | -0.09 | -4.11*** |
また、「ぬるま湯」群、「非ぬるま湯」群両者の分布を相対度数でみると表5.2のようになり、この表5.2を基にして相対度数折れ線を描くと図5.3のようになる。1988年調査では、「非ぬるま湯」群が3割程度しかいない上に、体温が上限にはりついているために、体温ではほとんど差がなく、相対度数では図4.2 (B)ほどには、両群の分布は分かれてはいない。このため、1987年調査の際と同一の基準で、T≦-1ならば「ぬるま湯」と判別し、T≧0ならば「非ぬるま湯」と判別してみると、このとき、誤判別は235人、誤判別率は38.6%となっている。これは1987年調査の誤判別率38.1%とほとんど同水準であり、体感温度による判別は安定していることがわかる。
表5.2 ぬるま湯感と休感温度の分布
質問5.25 | 体感温度 T | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
-5 | -4 | -3 | -2 | -1 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 計 | |
1. Yes (ぬるま湯) | 2 | 32 | 58 | 79 | 117 | 74 | 39 | 18 | 2 | 1 | 0 | 422 |
(0.47) | (7.58) | (13.74) | (18.72) | (27.73) | (17.54) | (9.24) | (4.27) | (0.47) | (0.24) | (0.00) | (100.00) | |
2. No (非ぬるま湯) | 0 | 5 | 12 | 32 | 52 | 50 | 26 | 8 | 2 | 0 | 0 | 187 |
(0.00) | (2.67) | (6.42) | (17.11) | (27.81) | (26.74) | (13.90) | (4.28) | (1.07) | (0.00) | (0.00) | (100.00) | |
計 | 2 | 37 | 70 | 111 | 169 | 124 | 65 | 26 | 4 | 1 | 0 | 609 |
図5.3 相対度数折れ線
ところで、1987年調査のデータと比較しても、1988年調査のデータは体温の分布が4と5に偏りすぎていることが、図5.2 (A)からわかる。体温5が43.7%、体温4が33.8%とこの両者だけで77.5%も占めている。このことは1988年調査が中間管理職だけを対象としていることに起因していると考えられる。つまり、中間管理職が一般に体温が高く、現状を打破しようという意欲をもっているという事実を反映していると考えられる。このことはヒアリング段階から十分に予想されていたことであった。したがって、1988年調査では体温はほぼ上限にはりついてしまったために、差がほとんど出なくなり、図5.2の(B) (C)をみても、「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群の違いは、システム温の違いだけのようにみえる。
しかし、システム温だけでぬるま湯感を説明しようとすると、1988年調査だけに限定すれば、ぬるま湯感の説明はつけられるのだが、1987年調査との比較において、なぜこのように高水準のぬるま湯感が存在するのかということを説明することができない。実際、1988年調査のシステム温の平均値は3.06で、1987年調査のシステム温の平均値3.05とほとんど同じであり、システム温だけによって1988年調査での中間管理職の高水準のぬるま湯感を説明することはできないのである。
ところが、体感温度仮説によれば、1987年、1988年の2回の調査で、システム温の平均ほぼ同じなのに、1988年調査の体温の平均が4.09と、1987年調査の3.60を大きく上回っていたために、1988年調査の中間管理職の場合には、その体温の高さゆえに体感温度が低下し、その結果、ほぼ7割がぬるま湯感を感じることになってしまったと説明することができる。
会社別の体感温度の平均値は表5.3に示されるが、0.1%水準で会社によって体感温度の平均値に有意な差があり、その中で、ぬるま湯感を感じているメンバーの比率が87.5%と群を抜いて最も高かったS社の体感温度はやはり群を抜いて一番低くなっている。また会社別にシステム温、体温の平均値を求め、散布図に会社をプロットしてみると、図5.4のようになる。
表5.3 システム温・体温・体感温度
N | システム温 SINDEX | 体温 BINDEX | 体感温度 T | |
---|---|---|---|---|
1. L社 | 46 | 3.02 | 3.96 | -0.93 |
2. M社 | 111 | 3.35 | 4.25 | -0.90 |
3. N社 | 71 | 3.24 | 3.96 | -0.72 |
4. O社 | 56 | 3.43 | 3.91 | -0.48 |
5. P社 | 108 | 3.35 | 4.03 | -0.68 |
6. Q社 | 142 | 2.77 | 4.25 | -1.48 |
7. R社 | 52 | 2.58 | 4.04 | -1.46 |
8. S社 | 23 | 1.87 | 3.87 | -2.00 |
全体 | 609 | 3.06 | 4.09 | -0.55 |
F | 8.08*** | 1.52 | 6.26*** |
図5.4 会杜別散布図(破線は平均値)
ただし、1988年調査のデータは、体温でほとんど差がないために、体温は「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群との間で有意な差がなかっただけではなく、会社別にみても有意な差がなかった。しかも、どの会社においても体温のレベルは高く、このことは1987年調査データによる図4.5と比較すると明白である。既に述べたように、1987年調査データと比較すると、全体でのシステム温の平均値は3.05と3.06とほとんど同じなのに対して、全体の体温の平均値は、1987年調査の3.60と1988年調査の4.09とでは大きく異なる。このことは、中間管理職だからといって、システム温の評価は変わるものではないが、体温についてはレベルが高くなるために、体温4、5とほとんど上限にはりついて、会社によっての差がなくなってしまうという興味深い事実を物語っていると考えられる。ちなみに、図5.4に図4.5の体温の平均値線も破線で書き込んでみると、1987年調査の基準で考えると、8社とも「ぬるま湯」領域か「適温」領域に入ってしまうことがわかる。前述のぬるま湯感を感じているメンバーの比率が87.5%と群を抜いて最も高かったSも、予想された「ぬるま湯」領域にプロットされることになる。
以上のことから、中間管理職のように体温が高い調査対象の場合であっても、体感温度仮説によって、ぬるま湯感を説明できることが確認された。
1987年調査の時と同様に、システム温、体温、したがって体感温度も、その算出式における各質問項目(これは、「Yes-No」形式の質問を0-1形式にダミー変数化してある)を等しいウェイト1で単純に加算した等ウェイト算出式で算出してしまって、実用上問題がないかどうかを、多変量解析によるデータの分析結果も考慮した上で、検討・吟味してみることにする。
システム温・体温の主成分分析を1987年調査と同様に行なってみよう。システム温を算出する基となった1987年調査の質問5.3、5.9、5.10、5.14、5.20に対応する同じ質問項目について主成分分析を行なってみると、各主成分に対応する固有値は、1.501、1.081、0.905、0.808、0.704となり、第1、2主成分だけが1を超えていて、第2主成分以下は固有値の値が急に小さくなっている。したがって、この第1主成分だけをみることにする。第1主成分に対応する固有ベクトルから、各質問項目に対する重み係数を求めると、第1主成分Sは、
となり、5.20に対する重み係数が小さいが、その他の質問項目に対する重み係数はほぼ一定しているとみることができそうである。
同様に、体温を算出する基となった1987年調査の質問4.7、4.8、4.10、4.14、4.25に対応する同じ質問項目について主成分分析を行なってみると、各主成分に対応する固有値は、1.660、0.962、0.899、0.820、0.660となり、第1主成分だけが1を超えていて第2主成分以下は固有値の値が急に小さくなっている。したがって、この第1主成分だけをみることにする。第1主成分に対応する固有ベクトルから、各質問項目に対する重み係数を求めると、第一主成分Bは、
となり、各質問項目に対する重み係数はS以上にほぼ一定したものになっている。
1987年調査と1988年調査の主成分分析の結果を比較してみると、主成分分析による重み係数は、計算の基になっているデータによって影響を受けやすいものであることもわかる。したがって、むしろ、この程度の重み係数の軽重は等ウェイトとみなしていてもかまわない許容範囲の中にあると考えた方が良いと思われる。1987年調査での結論と同様に、もとの変数群のバラツキを最も良く表現するような合成変数S、Bを求めて、それを基にしてぬるま湯感の分析を行ったとしても、等ウェイトの場合とそれほど異なる結果になるとは考えにくい。
次に、1987年調査と同様に「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群の判別分析を行なってみた。その結果得られた線形判別関数は次のようになった。
この線形判別関数を基にしてuを計算し、u<0のとき「ぬるま湯」、u>0のとき「非ぬるま湯」と判別するとよいことになる。1988年調査では体温が一様に高く、体温4、5に77.5%も集中して分布しているために、質問4系では「ぬるま湯」群と「非ぬるま湯」群の差があまりでない。したがって、質問4系の各質問項目は判別という点では重要な役割を果たしてはいないので質問4系の各質問項目の重み係数はかなり不安定なものになっていると考えた方が良い。
そのことを念頭において線形判別関数をみると、システム温を計算するのに用いた質問5系の各質問項目に対応している係数は5.20が大きくなっているが、符号はすべて正である。他方、体温を計算するのに用いた質問4系の各質問項目に対応している係数は4.10、4.14を除いて負となっており、1987年調査のときほどにはきれいに表れてはいないものの、質問5系には正、質問4系にのみ負の符号の係数が存在していることは、「体感温度=システム温−体温」でぬるま湯感をとらえようとした本研究での試みが、ある程度は、的を射たものであったことが、判別分析の結果からも確認されたことになる。それと同時に、判別分析の重み係数が標本の特性に大きく影響を受けやすいものであることもわかった。
この線形判別関数を用いたときの判別の結果は表5.4のようになっているが、誤判別は240人、誤判別率は39.4%となっていて、システム温、体温を等ウェイトで求めたときの誤判別235人、誤判別率38.6%よりも、むしろ悪くなっている。ただし、1988年調査のデータは、「非ぬるま湯」が30.3%しかいなかった偏ったデータだったため、すべてを「ぬるま湯」と判別した場合に誤判別率30.3%となり、誤判別率が低くなるので、全体での誤判別率を比較することは、1987年調査ほどには意味はないということには注意がいる。事実、表5.4をより詳細に検討すると、体感温度による判別の方が、「非ぬるま湯」についての判別が甘くなっていることがわかるが、いずれにせよ、体感温度による判別が判別分析の結果と比較しても大差のないものであることが明らかになった。
表5.4 判別結果の比較
質問5.25 | 判別分析による判別結果 | 体感温度による判別結果 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
1. Yes | 2. No | 計 | 1. Yes | 2. No | 計 | |
1. Yes (ぬるま湯) | 244 (57.8) | 178 (42.2) | 422 | 288 (68.2) | 134 (31.8) | 422 |
2. No (非ぬるま湯) | 62 (33.2) | 125 (66.8) | 187 | 101 (54.0) | 86 (46.0) | 187 |
計 | 306 | 303 | 609 | 389 | 220 | 609 |
以上のことから、多変量解析の結果、体感温度の算出式を等ウェイトに設定していることが、実用上は問題がなく、1987年調査、1988年調査ともに、かなりよく符合するものであることが明らかになるとともに、体感温度仮説の妥当性も確認された。
次に、仮説4、5の検証を行なってみょう。ここで問題となるのは、業種、会社、職種、職位が異なると、質問票調査では、外発的報酬のレベルの比較が難しいということである。そこで、外発的報酬とシステム温との関係を考えてみょう。
仮説4のところでも述べたように、外発的報酬は、組織のシステムが、組織メンバーの現状を打破しようとしている職務遂行を受け止め、あるいは促す仕組み、制度になっているかどうかによって大きく左右される。つまり、システム温か高ければ、職務遂行と外発的報酬の関係は強まり、連動することになるが、システム温か低ければ、システム側は変化性向が小さく、現状を維持するので、現状を打破して変化をもたらそうという職務遂行に対する外発的報酬は低いままに維持される。したがって、体温(=職務遂行レベル)が高く、かつシステム温か高い場合にのみ外発的報酬も高く、他の場合には外発的報酬は低いという関係がある。こうした関係があるので、システム温と外発的報酬との間には、表5.5に示されるような関係があると考えられる。このことから、便宜上、外発的報酬を経由する結合にシステム温だけを入れて考えることができる。そこで、図5.5のような因果関係のモデルを考え、パス解析により、パス係数pib、psb、pji、pjsを求めてみることにする。
表5.5 体温・システム温と外発的報酬のレベル
外発的報酬 のレベル | システム温 | ||
---|---|---|---|
高 | 低 | ||
体温 | 高 | 高 | 低 |
低 | 低 | 低 |
図5.5 アローダイヤグラムと構造方程式
INTRIN=pibBINDEX+piuRu
SINDEX=psbBINDEX+psvRv
JS=pjiINTRIN+pjsSINDEX+pjwRw
ただし,Ru、Rv、Rwは残差項である。
実際の測定には、内発的報酬INTRINについては、「あなたと仕事との係わり」に関する次の五つの「Yes-No」形式の質問、
これらの変数間には、表5.6のような相関関係があり、パス係数を求めると図5.6のようになる。このパス解析の結果から、内発的報酬を経由する結合よりも、外発的報酬を経由する結合の方がパス係数の値はずっと小さく、職務満足に対する効果は小さいということがわかる。したがってパス解析の結果から仮説4が部分的にではあるが検証された。
表5.6 変数間の相関係数(Pearson's r)
SINDEX | INTRIN | JS | |
---|---|---|---|
BINDEX | 0.130** | 0.415*** | 0.279*** |
SINDEX | 0.196*** | 0.199*** | |
INTRIN | 0.622*** |
図5.6 パス解析の結果
次に、仮説5の検証をしてみょう。仮説5の検証のために、次のような質問を用意した。
この三つの質問の回答結果によって、システム温、体温、体感温度がどのように異なるのかを調べてみると、表5.7のようになった。この表5.7から、業績主義、能力主義、年功序列の順で、システム温の平均値が低くなり、その差は0.1%水準で有意であった。この傾向は弱まるものの体温、体感温度にも見られ、その会社の人事評価制度が組織メンバーの現状を打破しようとする体温をも低下させることを意味している。ただし、表5.8 (A)からもわかるように、昇進・給与の勤務評定項目と賞与の勤務評定項目とは必ずしも一致しない。特に、賞与で業績を勤務評定項目に挙げている場合でも、昇進・給与の勤務評定項目としては業績と能力とに分かれていた。
表5.7 勤務評定とシステム温・体温・体感温度
N | システム温 SINDEX | 体温 BINDEX | 体感温度 T | ||
---|---|---|---|---|---|
質問2.2 賞与に関する勤務評定で 一番重視されている項目 |
1. 業績 | 374 | 3.30 | 4.20 | -0.90 |
2. 能力 | 82 | 3.06 | 4.00 | -0.94 | |
3. 年功 | 72 | 2.51 | 3.94 | -1.43 | |
4. 主観 | 78 | 2.47 | 3.79 | -1.32 | |
全体 | 606 | 3.07 | 4.09 | -1.02 | |
F | 15.21*** | 4.01** | 3.55* | ||
質問2.3 昇進給与に関する勤務評定で 一番重視されている項目 |
1. 業績 | 154 | 3.47 | 4.26 | -0.79 |
2. 能力 | 282 | 3.21 | 4.12 | -0.91 | |
3. 年功 | 69 | 2.54 | 3.97 | -1.43 | |
4. 主観 | 103 | 2.40 | 3.82 | -1.42 | |
全体 | 608 | 3.06 | 4.09 | -1.03 | |
F | 21.59*** | 4.06** | 5.58*** | ||
質問2.4 自分の勤務評定の正当性 |
1. だいたい正当 | 411 | 3.31 | 4.13 | -0.82 |
2. 時々疑問 | 175 | 2.58 | 3.98 | -1.41 | |
3. 不当 | 23 | 2.26 | 4.22 | -1.96 | |
全体 | 609 | 3.06 | 4.09 | -1.03 | |
F | 27.25*** | 1.34 | 13.74*** |
表5.8 勤務評定項目
(A)
質問2.3 昇進給与に関する 勤務評定で一番重 視されている項目 |
質問2.2 賞与に関する勤務評定で 一番重視されている項目 | ||||
---|---|---|---|---|---|
1. 業績 | 2. 能力 | 3. 年功 | 4. 主観 | 計 | |
1. 業績 | 144 (45.7) | 6 (-15.4) | 6 (-12.9) | 3 (-17.4) | 159 |
2. 能力 | 197 (18.4) | 72 (33.0) | 13 (-21.3) | 7 (-30.1) | 289 |
3. 年功 | 14 (-28.6) | 4 (-5.3) | 43 (34.8) | 8 (-0.9) | 69 |
4. 主観 | 30 (-35.5) | 2 (-12.3) | 12 (-0.6) | 62 (48.4) | 106 |
計 | 385 | 84 | 74 | 80 | 623 |
(B)
質問2.4 自分の勤務評定 の正当性 |
質問2.2 賞与に関する勤務評定で 一番重視されている項目 |
質問2.3 昇進給与に関する勤務評定で 一番重視されている項目 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. 業績 | 2. 能力 | 3. 年功 | 4. 主観 | 計 | 1. 業績 | 2. 能力 | 3. 年功 | 4. 主観 | 計 | |
1. だいたい正当 | 282 (21.2) | 64 (7.4) | 46 (-4.1) | 30 (-24.2) | 422 | 116 (8.6) | 224 (28.9) | 44 (-3.3) | 38 (-34.2) | 422 |
2. 時々疑問 | 98 (-12.0) | 19 (-5.0) | 25 (3.9) | 36 (13.1) | 178 | 40 (-5.5) | 62 (-20.8) | 21 (1.0) | 56 (25.4) | 179 |
3. 不当 | 5 (-9.2) | 1 (-2.1) | 3 (0.3) | 14 (11.0) | 23 | 3 (-3.1) | 3 (-8.1) | 5 (2.3) | 13 (8.9) | 24 |
計 | 385 | 84 | 74 | 80 | 623 | 159 | 289 | 70 | 107 | 625 |
( )内は「度数−期待度数」を表す。
しかし、より重要なことは、表5.7で、自分の勤務評定の正当性に疑問をもっている場合には、体温自体には統計的には有意な差がなくても、システム温と体感温度に0.1%水準で有意な差があるということである。こうした結果から仮説5が検証された。しかも、表5.8 (B)からわかるように、賞与、昇進・給与とも、勤務評定項目に業績、能力を挙げる者に、自分の勤務評定を正当とする者が多い。年功を挙げる場合には、正当性に対する疑問感はあまりはっきりしたものではないが、問題は、「主観」により評定されていると感じる者の場合である。「主観」と答えたこと自体が、勤務評定に明確な基準がないということを訴えているともいえるが、主観で勤務評定されていると感じている場合には、自分の勤務評定の正当性に対する疑問感をもつものが多くなる傾向がある。
以上のことから、仮説4、5が検証されるとともに、人事考課制度のもつ重要性、評定基準の明確さのもつ重要性が明らかになった。
第4章とこの第5章では2回の調査を通して、システム温と体温の差によってぬるま湯感を説明する体感温度仮説を立て、それを検証するとともに、職務満足と体温、システム温との関係を明らかにすることにより、ぬるま湯感と職務満足の共存するメカニズムを提示した。ぬるま湯をめぐるこれらの枠組みによって、ぬるま湯現象をかなり解明できたと考えている。
しかし、組織や職場の状態を体感温度だけで判断することには盲点もあることに注意しなければならない。いい換えれば、ぬるま湯感だけで組織や職場の状態を判断することには盲点があるのである。なぜなら、体感温度はシステム温と体温の温度差なので、同じ水準の体感温度をもたらすシステム温(SINDEX)と体温(BINDEX)の組は一意には定まらず、システム温、体温がともに高くても、ともに低くても、同じ体感温度になりうるからである。
このことを図5.17を使って示せば、等体感温度曲線は、体感温度を表す右下がりの直線への垂直な直線となるはずである。したがって、例えば、図の右上隅も左下隅も体感温度では0になり、差がないことになる。しかし、この両者をともに「適温」と呼んでもよいのだろうか。両者の違いは重要かつ重大である。右上隅が組織のシステムも人も変化性向が大きく、システム・人が一体となって変化することを指向した組織であるのに対して、左下隅は組織のシステムも人も変化性向が小さく、組織のシステムが現状に甘んじることを肯定しているだけではなく、そのメンバーも現状に甘んじることが体に染みついているために、そうしたシステムの状況に気がついていないという危険な状態にあると考えられる。
図5.7 BS図
このことは、組織や職場の状態を、その中にいるメンバーの「感じ」だけで判断してしまうことの危険性を示唆している。メンバー自身が「適温」だと思っていても、その実態はシステムも人も変化性向の低い状態になってしまっているかもしれないのである。例えていえば、適温だ、いい湯だと思って風呂に長々とつかっていると、湯(システム)の温度は自然に下がっていってしまう。しかるに、本人の体温もそれにつれて低下しているのでそのことに気づかず、いつしか平気で水風呂の中につかり、そのうち風邪をひいてしまうということが十分に考えられるのである。したがって、体感温度だけによって、組織や職場の状態を判断できないということは、体感温度仮説の盲点であるとともに、重要な含意でもあるのである。
これと類似の現象が、経営学の領域で、Tichy & Devanna (1986, p.44 邦訳p.59)によって「ゆでガエル現象」(boiled frog phenomenon)として指摘されている。この現象はもともとがカエルが主役の古典的な生理学的反応実験に由来するものの例えなので温度の高低の設定は逆になっているが、カエルを突然熱湯に入れると、カエルはすぐに飛び出すが、カエルを冷水の鍋の中に入れて、ゆっくりと熱を加えていけぼ、温度の変化がゆっくりなので、カエルは熱湯になっていっていることに気づかず、飛び出すことなく、鍋の中でゆで上がって死んでしまうという現象を指している。米国の鉄鋼、自動車などの産業はこの現象の犠牲者だったというのである。本研究での体感温度仮説においては、体感温度の概念を定義、操作化することで、こうした指摘を単なる教訓話としてではなく、論理として議論の対象として提示することに、ある程度成功していると考えることができる。
以上のことから、実は体感温度(T)よりも、この体温(BINDEX)を縦軸、システム温(SINDEX)を横軸にとった図の上での位置の方が重要ではないかということになる。これをBS図(BS chart; BINDEX-SINDEX chart)と呼ぶ。既に試験的にこのBS図を用い、会社単位で職場間の比較を行なったケース研究が、1987年調査の調査対象企業の担当者自らの手によって試みられていて(青木他, 1988)、そこでは、図5.7に体温、システム温の平均を破線で入れたものが使用されている。これらの一連のケース研究では、便宜上、右上の領域を「適温」領域と呼んでいるが、左下の領域については、前述の体感温度の盲点に関する風呂の例えからもわかるように、「適温」と呼ぶべきではなく、「水風呂」領域等、別の名称で呼ぶべきであろう。
BS図において重要なことは、本来、活性化していると呼ぶべき状態は適温の状態であり、一方、本来、活性化していないと呼ぶべき状態は水風呂の状態であって、ぬるま湯の領域はどちらとも異なるということである。つまり、調査データの分析過程で疑問を感じたとおり、やはり、ぬるま湯の状態は不活性状態の典型というわけではなかったことになる。
また、BS図はI I図と同様に、組織の比較分析のための手法である。I I図同様に、BS図単独で使用するというより、ケース・スタディや経営組織診断に入る前に使われるべきものだといえる。
ところで、システム温か体温をはるかに上回る熱湯の状態や、組織も人も冷え切ってしまった水風呂の状態というのは、短期的にはありえても、定常状態としてはありえないと予想することができる。ゆでガエル現象でも、カエルはゆで上がって死んでしまうのである。実際、図4.3や図5.2では「非ぬるま湯」群の大部分は適温領域に分布し、水風呂領域や熱湯領域にはあまり分布していなかったという事実は、この予想を裏づけるものといえる。ただし、ぬるま湯の状態はどうなのであろうか。図4.3や図5.2でみても、ぬるま湯領域には十分に分布している。ぬるま湯的体質が問題になることを考え合わせると、ぬるま湯領域はまさにぬくぬくと過ごしやすい領域なのかもしれない。このことの真偽については今後の研究課題である。
第4章では、体感温度仮説を立て、1987年調査のデータを用いて、その裏づけを行なった。ところで、その第4章の表4.2と表4.7及び図4.5をみるとわかるのだが、調査対象となった11社のうちに、システム温3.92、体温4.54と、それぞれ11社中2番目、1番目に高い値をとっていた、まさに適温の活性化企業I社があった。このI社こそが、実は、民営化後約2年半を経過した日本電信電話株式会社(以下「NTT」と略記)だったのである。
これは、数年前までお役所だったということを考えると、驚くべき数字だといってよいだろう。ちなみに、体温の算出にも用いた「あなたの仕事に対する姿勢」に関する質問4系の25問全部の単純集計をNTTと11社全体について表6.1に示しておいた(他の10社の各社ごとの数字については、高橋(1989b)を参照のこと)。第2章で定義されたような組織の活性化された状態のイメージを基にすると、質問によっては「Yes」と答えた方が活性化していると考えられるプラス・イメージの質問と、「No」と答えた方が活性化していると考えられるマイナス・イメージの質問とがあるので、それぞれ、「+」「-」で質問番号の肩に示すことにする。
表6.1 1987年調査での「自分の仕事に対する姿勢」に関するYes-No形式の質問に対するYesの比率(%)
質問 | 順位a | NTT | 全体 | Cramer's V | χ2 |
---|---|---|---|---|---|
4.1+ トップの経営方針と関係づけて仕事している | 1 | 88.9 (36) | 61.3 (574) | 0.305 | 53.524*** |
4.2+ 会社における自分の役割を考えて仕事している | 1 | 97.1 (35) | 85.4 (575) | 0.260 | 38.813*** |
4.3+ 5年後、10年後の自分を考えて仕事している | 3 | 37.1 (35) | 32.5 (572) | 0.159 | 14.389 |
4.4+ 必要あれば与えられた仕事以外でも対処する | 1 | 100.0 (37) | 95.7 (579) | 0.152 | 13.463 |
4.5- 自分の仕事の意思決定責任は自分にない | 1 | 48.6 (35) | 63.3 (570) | 0.194 | 21.481* |
4.6- 自分の仕事上の決定は自分一人で行わない | 4 | 88.6 (35) | 92.0 (576) | 0.186 | 19.864* |
4.7- 業績よりも問題・ミスを重視している | 1 | 11.8 (34) | 46.1 (564) | 0.265 | 39.714*** |
4.8+ 自分の仕事の改善を心がけている | 3 | 91.4 (35) | 77.8 (571) | 0.269 | 41.213*** |
4.9+ 他人の仕事・やり方に関心がある | 3 | 91.7 (36) | 84.7 (577) | 0.211 | 25.661** |
4.10+ 自分の仕事の知識修得に努力している | 1 | 100.0 (37) | 86.4 (574) | 0.170 | 16.652* |
4.11+ 人にまかせられない仕事がある | 1 | 70.3 (37) | 52.2 (575) | 0.141 | 11.373 |
4.12+ 自分の仕事にプライドをもっている | 5 | 86.5 (37) | 85.2 (574) | 0.146 | 12.161 |
4.13+ 自分の仕事に対して信念をもっている | 1 | 73.5 (34) | 53.2 (566) | 0.222 | 27.828** |
4.14+ 新しい仕事をどんどんやりたい | 1 | 97.3 (37) | 87.6 (571) | 0.160 | 14.670 |
4.15+ 自分の年収は他社より高い | 4 | 25.7 (35) | 21.7 (571) | 0.408 | 94.914*** |
4.16+ 時給を意識する | 2 | 81.1 (37) | 72.4 (576) | 0.166 | 15.869 |
4.17+ 会社のために自分の私生活が犠牲になってもいい | 1 | 33.3 (36) | 15.0 (573) | 0.233 | 31.214*** |
4.18- 自分が頑張らなくても心配ない | 1 | 5.6 (36) | 15.2 (571) | 0.158 | 14.195 |
4.19- 残業前提で仕事することがある | 6 | 30.6 (36) | 32.9 (574) | 0.268 | 41.112*** |
4.20- 同業他社の業績不振はやり方がまずいせいだ | 2 | 43.8 (32) | 44.0 (559) | 0.184 | 19.027* |
4.21- 自分の会社は大丈夫 | 1 | 8.3 (36) | 32.7 (574) | 0.252 | 36.639*** |
4.22+ 自分は会社を辞めても食っていける | 11 | 42.9 (35) | 60.1 (574) | 0.202 | 23.469** |
4.23- 会社の将来が悲観的になっても会社に留まりたい | 2 | 23.5 (34) | 40.9 (567) | 0.282 | 45.098*** |
4.24+ 自分の仕事に充実感を感じている | 1 | 77.8 (36) | 62.0 (573) | 0.233 | 30.981*** |
4.25+ 人より早く昇進したい | 3 | 60.0 (35) | 52.7 (566) | 0.177 | 17.670+ |
a 11社中のNTTの順位
( )内は有効サンプル数
χ2検定は11×2のクロス集計表に関する検定
(+ p<0.1; * p<0.05; ** p<0.01; *** p<0.001)
この表6.1には、「+」の質問に関しては「Yes」の比率の高い順にみたNTTの順位、「-」の質問に関しては「No」の比率の高い順にみたNTTの順位が示されている。すなわち、活性化の程度に関する11社中のNTTの順位が示されていると考えてよい。それでもわかるように、25項目のうちNTTは実に過半数の13項目で1位を占め、20項目で3位以内という圧倒的な結果になっている。しかも、NTTを除く10社は、石油、薬品、電機、流通、電力、鉄道、ホテルといった業種に属するいずれも業績好調の民間の大手企業だったのである。
ただし、NTTの回答者はNTT全体にわたっているというわけではない。実際には、NTTのうちでも、関連企業部に所属する40人が調査対象に選ばれた。この内訳は、もともとの関連企業部のスタッフである20人と関連企業部所属の出向者20人となっているが、NTT側の事情により、残念ながら両者については分けて分析することはできなかった。調査時点では、第7章でも述べるように、NTTの新規事業会社は、設立後1年は新規事業開発室が管理し、設立後1年を経ると関連企業部が管理することになっていたが、その際、その新規事業会社への出向者の所属も新規事業開発室から関連企業部へと移ることになっていた。そのため、調査対象となった出向者は設立後1年以上を経過している会社への出向者ということになる。したがって、より正確には、NTTの子会社への出向者とその子会社を管理する側の関連企業部スタッフが、他の民間企業10社と比較して、より活性化していたということになる。
一般に、子会社への出向は、出向社員の士気に悪影響を及ぼすと考えられていることを考慮すると、これは驚くべき事実ということになるのだが、実は、NTTに関しては、逆に良い影響を与えているのではないかという指摘もなされていた(下田, 1986; 結城, 1987)。NTT出版から1988年に出版されている『くもりのちはれ: 出向社員奮闘記』のような出向社員の体験談集も、多少宣伝の臭いがするとはいえ、こうした指摘を裏づけている。さらに、もともと「社員の意識を変えるためにも、子会社への出向は大切。子会社で競争的経営を実践した人が戻ってきて刺激を与える。人材が育ってくると同時に全体の意識も変わるという一石二鳥がねらい。」という新規事業開発室の初代室長寺西昇氏の発言なども伝えられている(下田, 1986)。だとすれば、どのようにして、子会社に出向することでこのようなNTT社員の意識改革、活性化といった効果をもたらすことができたのであろうか。
そこで、第3部を構成する、この第6章と次の第7章では、日本電信電話公社(以下「公社」と略記)がNTTへと民営化した、いわば壮大な実験の経過を子会社戦略の観点からとらえ、それが、いま述べたようなめざましい活性化をもたらしたプロセスと、その中で用いられた具体的な方策について考えてみることにしたい。そのために、この第3部では1987年調査の調査時点までをカバーできるように、民営化後3年までの公社からNTTへの民営化プロセスに焦点を当てる。
この第6章では、まず、NTTの子会社戦略が、NTTの余剰人員の受け皿作りという枠を超えたものであることを明らかにしたい。その上で、民営化後も本体での事業展開上の制約が残る中で、民営化によって別会社での事業展開の自由を獲得したことを契機にして子会社戦略を転換し、民営化前の受託会社とは全く正反対の性格をもった新規事業会社を設立し、この新規事業会社群を舞台としてNTTの事業展開を図るようになったことを明らかにする。
なお、この第3部で「子会社戦略」というときの「子会社」は、商法上の子会社よりもかなり広義に、「出資会社」程度の意味で使用されていることには注意されたい。
NTTの新規事業開発とそれに伴う「新規事業会社」と呼ばれるNTTの関係会社群の形成の基本的意図は、従来、多すぎる要員の縮減策であるとの理解があった。例えば、下田(1986)のようなNTTの戦略性を強調したものにも、そうした理解の仕方がみられる。いわゆる余剰人員の受け皿作りである。そうした理解は、1982年5月17日の臨時行政調査会(以下「臨調」と略記)第4部会報告『3公社、特殊法人等の在り方について』にも指摘される次のような状況認識に基づいていると思われる。
そこで、「合理化推進の観点から、業務範囲については公益上支障のない限り、大幅にこれを認め、弾力的投資活動を行なわせる。」という報告の内容になるわけだが、しかし、公社及びNTTの実態をより正確に理解するためには、この報告の内容に次のような注釈をつけておく必要があると考える。
表6.2 民営化前の公社の事業収入・支出
年度 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1977 | 1978 | 1979 | 1980 | 1981 | 1982 | 1983 | 1984 | ||
事業収入(億円) | 33,713 | 35,823 | 37,843 | 39,528 | 40,975 | 42,906 | 44,994 | 46,735 | |
増加率(%) | 6.3 | 5.6 | 4.5 | 3.7 | 4.7 | 4.9 | 3.9 | ||
事業支出(億円) | 28,968 | 31,307 | 32,949 | 35,049 | 36,895 | 38,358 | 39,834 | 41,771 | |
増加率(%) | 8.1 | 5.2 | 6.4 | 5.3 | 4.0 | 3.8 | 4.9 | ||
(内 電話) | 事業収入(億円) | 31,322 | 32,986 | 34,804 | 36,167 | 37,357 | 39,052 | 40,892 | 42,261 |
増加率(%) | 5.3 | 5.5 | 3.9 | 3.3 | 4.5 | 4.7 | 3.3 | ||
事業支出(億円) | 25,381 | 27,398 | 28,896 | 30,785 | 32,474 | 33,829 | 35,145 | 36,973 | |
増加率(%) | 7.9 | 5.5 | 6.5 | 5.5 | 4.2 | 3.9 | 5.2 |
表6.3 公社・NTTの年度末の職員・従業員数の増滅
年度 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1977 | 1978 | 1979 | 1980 | 1981 | 1982 | 1983 | 1984 | 1985 | 1986 | 1987 | |
職員・従業員数* | 325,507 | 328,346 | 328,708 | 327,171 | 326,660 | 323,338 | 317,519 | 313,627 | 303,951 | 297,596 | 291,142 |
増減 | +2,839 | +362 | -1,537 | -511 | -3,322 | -5,819 | -3,892 | -9,676 | -6,355 | -6,454 | |
平均年齢 | 35.3 | 36.0 | 36.4 | 37.0 | 37.3 | 37.6 | 37.9 | 38.1 | 38.3 | 38.7 | 39.1 |
平均勤続年数 | 16.8 | 17.5 | 18.0 | 18.5 | 18.7 | 19.1 | 19.3 | 19.5 | 19.2 | 19.5 | 19.9 |
新規事業会社への出向者数 | - | - | - | - | - | - | - | - | 約600 | 1,677 | 2,565 |
このうち、2については、臨調以前からの、公社の合理化に対する長い間の取り組みがあったことを念頭に置いておく必要がある。運用要員についての合理化は1960年代後半から顕在化しつつあったが、2に対して具体的に効果のあったと思われるものとしては、公社、全国電気通信労働組合、政府等の次のよう合理化に対する一連の動きがあったといわれる(社史, 第2編第6章)。
したがって、公社の人員合理化は、臨調以前から既に公社の手によって着々と進行していたのである。新規の採用を抑えることによって生じる社員数の自然減は、表6.3からもわかるように、民営化後も大きく、出向者数を考え合わせると、年間約5,000人ペースの自然減となり、年間の出向者の増加数約1,000人の5倍程度という大きな数字となっている。
それでは、民営化を契機にしたNTTの新規事業会社群の形成は、NTTにとって余剰人員の受け皿会社作りということ以上にどのような意味をもっているのであろうか。
まず最初に、公社からNTTに民営化されることによって、事業展開上の制約がどのように変化したのか、あるいは変化しなかったのかについて考察することにしよう。
民営化以前の、1982年2月26日の臨調第4部会ヒアリングにおいて、公社は、その経営形態問題に関して、公社制度改正方式、特殊会社方式、民営会社方式の3方式を提言している。この3方式を旧制度である日本電信電話公社法(以下「公社法」と略記)、さらに新制度である日本電信電話株式会社(以下「会社法」と略記)と対比するために表6.4を作成した。
表6.4から、公社は3方式を提言することにより資金の調達・運用の自由度の拡大と給与総額制の廃止を求めていたことがわかるが、何よりも重要なことは、旧制度とは異なり、かつ3方式に共通して、別会社設立の自由、及びその別会社による事業展開の自由を求めていたということである。これは公社にとって事業展開上の実質的な自由を獲得することを意味しているが、民営化という転機に遭遇する中で公社側の切実な希望が表明されたと考えることができる。それでは、公社時代の事業展開にはどのような障害があったのであろうか。
表6.4 日本電信電話公社法から日本電信電話会社法へ
旧制度(-1985.3.31) 日本電信電話公社法 |
公社から臨調への提出資料(1982.2.26) 「経営形態に関する勉強の状況について」 |
新制度(1985.4.1-) 日本電信電話株式会社法 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
公社制度改正方式 | 特殊会社方式 | 民営会社方式 | ||||
事業範囲 | 公衆電気通信業務・附帯業務・目的達成業務 | 国内電気通信事業・附帯業務・目的達成業務 | ||||
出資・投資 | 制限列挙された範囲 | 新業務は別会社を単独・共同出資で新たに設立 | 規制なし | |||
機 関 |
意思決定機関 | 経営委員会 | 経営委員会・理事会 | 株主総会・取締役会(商法) | ||
執行機関 | 総裁 | 総裁 | 代表取締役(商法) | |||
監査機関 | 監事 | 監事 | 監査役(商法) | |||
事業計画 | 予算(事業計画等添付)を郵政大臣に提出し、国会の議決 | 国会の承認 | 郵政大臣の認可 | 郵政大臣に提出 | 事業計画(1)の認可 収支計画・資金計画の添付(省令) | |
社 債 |
発行限度額 | 予算をもって国会の議決 | 他の公益事業における特別措置に準じた基準 | 商法原則の4倍まで | ||
個々の発行 | 郵政大臣の認可 | 限度内は認可制廃止 | 取締役会決議(商法) | |||
借入金 | 郵政大臣の認可 | 限度内は認可制廃止 | 取締役会決議、規制なし(商法) | |||
資金運用 | 国庫預託(2) | 市中預託等方途拡大 | 規制なし | |||
決算 |
財産目録、B/S、P/Lについて郵政大臣の承認 郵政大臣は財務諸表及び予算の報告書を内閣に提出 内閣は会計検査院の検査を経て国会に提出 |
則務諸表を国会に提出 | 財務諸表を郵政大臣に提出 有価証券報告書を大蔵大臣に提出 |
取締役会承認(商法) 営業報告書、B/S、P/Lは株主総会へ報告(商法) 株主総会を経て郵政大臣に提出 | ||
事業部門別収支を明らかにする | ||||||
利益処分 | 積立金として整理 すべて建設投資へ充当 |
積立金を資本金に組み入れできる | 配当金は支払う | 利益準備金+配当+役員賞与+任意積立金(商法) 株主総会での承認(商法)と郵政省の認可 | ||
ディスクロージャ | 財産目録、B/S、P/Lを公告 | 事業活動・経営成果等に関する各種情報を公衆の縦覧に供する | 計算書類の閲覧、公告(商法) 有価証券報告書の縦覧(商法) | |||
給与総額制 | 予算総則による給与総額制 | とらない | 規制なし | |||
助成 措置 | 政府債務保証 | 債券・外貨債務 | 原則としてなし | なし | ||
国庫余裕金の一時使用 | あリ | 根拠規定を廃止 | ||||
租税 公課 | 法人・事業税 | 非課税 | 課税 | |||
固定資産税 | 非課脱だが1/2相当額を市町村納付金として納付 | 公益事業と同様の軽減措置 | 公社から承継した特定の償却資産につき経過的な軽減譜置 | |||
労働関係法 | 公共企業体等労働関係法 ・公共企業体等労働委員会の仲裁等による紛争処理 ・争議行為全面禁止 |
労働関係調整法 ・中央・地方労働委員会の調停等による紛争処理 ・争議行為の予告義務、総理大臣による緊急調整の場合の禁止 | ||||
郵政大臣監督 | 監督上必要な命令 | 業務改善命令 | 監督上必要な命令 | |||
業務に関する報告聴取 | ||||||
立入検査なし | 立入検査・個別命令(事業法) | |||||
会計検査・行政監察 | 対象 | 対象(会計検査院法)(総務庁設置法) | ||||
会計監査人の監査・税務調査 | 対象(監査特例法)(法人税法・地方税法等) |
旧制度では、公社法第3条において、その業務範囲を本来業務である公衆電気通信業務、附帯業務、目的達成業務及び受託業務に限定されるという形で、公社の事業内容が限定されている上に、投資の対象についても、国際電信電話株式会社、宇宙開発事業団、通信・放送衛星機構のほか、政令で制限列挙された公衆電気通信業務の委託事業及び密接関連事業に限定されていた。
民営化以前に公社本体で展開された新規事業の典型的なものとしては、データ通信サービスがある。データ通信サービスは、回線サービスと設備サービスとに大別され、回線サービスの方は公社が通信回線のみを提供し、コンピュータなどの設備は利用者が設置するサービスであるが、他方の設備サービスは通信回線だけでなく、コンピュータを含む一切の設備を公社がシステムとして提供するサービスである。
公社は、1971年9月から特定通信回線サービス、データ通信設備サービス、1972年11月からは公衆通信回線サービスのデータ通信サービスを開始したが、当時、公社は加入電話と電報、加入電信のサービス等しか行なっていなかったので、公衆電気通信法が改正される必要があった。そこで、これに先立つ1971年5月24日に公衆電気通信法が改正・公布され、1971年9月1日施行という手続きが踏まれている。これは第1次回線開放と呼ばれているが、公社本体での新規の事業展開には、このような関連法の改正ということを必要としていたのである。
以上のようなことからもわかるように、公社が関連事業へ進出する際には、次のような事実上の障害が存在していたといわれる(社史, pp.616-617を基にしてヒアリング結果を整理したもの)。
したがって、いずれにせよ、関係省庁との間での折衝に時間と手間をとられるために、たとえ公社が経営戦略上の観点から新たな事業計画を立てたとしても、実際には、事業機会をとらえたタイムリーな事業展開を図ることは不可能に近かった。
例えば、テレホン・カードの製作・販売を行ない、いまや、NTTの優良子会社として注目を浴びている潟eレカは、1982年12月23日からのカード公衆電話のサービス開始という公社の長期戦略との関連から、公社が実際に企画して、新規事業開発を行なったにもかかわらず、設立時には、あえて公社が出資して資本参加することをせずに、テレホン・カードの企業化のタイミングを逸しないために、民営化を待たずに、1984年6月1日に設立し、7月から公社より4人の出向職員を派遣して営業を開始することにし、設立時には、日本通信サービス(公社の持株比率5.3%)、(財)電気通信共済会を主な出資者としていた。その後、民営化後に増資が行なわれて、ようやくNTTが筆頭株主になることができた。これなどは、旧制度のもとでは公社にとってタイムリーな事業展開は難しかったということのよい例であろう。それでは、民営化以降では、こうしたNTTの事業展開に対する制約の実態はどのように変わったのだろうか。
表6.4の事業計画の部分からもわかるとおり、予算の弾力性という点では、民営化前と民営化後ではかなりの違いがある。民営化前は、事業計画等を添付した予算を郵政大臣に提出し、大蔵省の査定を受け、国会の議決を経る必要があった。そして、いったん国会の議決を経た予算を弾力的に運用することには根本的に無理があった。それに対して、民営化後は、主要なサービス計画、建設計画の概要である事業計画のみが認可事項となり、収支計画、資金計画は添付するだけでよくなった。したがって、NTT本体で行なっている既存の電話、電報等の基本通信事業については、「予算」運用上の自由度は大きくなっている。
しかし、NTT本体での事業展開には、民営化されたとはいえ、次のような民営化前と同様の制約があり、民営化によって本体での事業展開、事業範囲の自由度は変わってはいないと考えられる。
これらの項目のうち3については、政府の持株比率が50%未満になれば、会計検査院の必要検査事項ではなく、任意検査事項ということになり、会計検査も緩和される可能性もあるが、他の項目については、今後も状況が変わるとは思われない。
また4については、NTTのサービスが競争にさらされる状況下では、大きな制約となりうるものである。例えば、民営化以前の公社本体での新規事業展開の例として既に述べたデータ通信サービスの中のデータ通信設備サービスに着目してみると、NTT本体でデータ通信設備サービスを行なっていくことは、NTT自身にとっても問題であることがわかる。なぜなら電気通信事業法第31条により、料金その他の契約約款の郵政大臣による認可は、第1種電気通信事業という電気通信役務別にではなく、第1種電気通信事業者という業者別に行なわれるために、NTTのような第1種電気通信事業者が行なう場合には、本来それ単独で営むならば第2種電気通信事業となるべきデータ通信設備サービスの契約約款までもが認可対象となってしまうからである。これでは、第2種電気通信事業のみを行なう業者との比較において、競争上、不利な立場に置かれることになる。
また、このデータ通信設備サービスに関連して表面化しているが、5については、郵政省が規制を強める傾向かある。まず民営化前に、臨調、政府サイドが、1982年5月17日の臨調第4部会報告『3公社、特殊法人等の在り方について』で、公社の改革の基本的考え方として、「独占弊害を除去するためには競争原理を導入しなければならない」と述べた上で、改革意見として、「宅内機器部門、データ通信設備サービス部門及び保守部門の一部等を分離する」ことを挙げたことを皮切りにして、1982年7月30日の臨調の第3次答申(基本答申)、1982年9月24日閣議決定の行政改革大綱、1983年3月14日の臨調の第5次答申(最終答申)と一貫して主張してきただけではなく、経済団体連合会(経団連)の通信事業企業化問題調査委員会も1984年11月28日に出した『通信事業化問題調査最終報告』で、NTTとの公正競争確保に係わる課題の一つとして、「新規参入のための条件整備」が挙げられ、その中で、「新電電会社については、内部相互補助により新規参入を阻害しないよう、会計分離の明確化を行なうべきである。また臨調答申でも指摘された通り、新電電会社のデータ処理部門等は分離別会社として運営されるべきである。」と主張していた。
さらに、民営化後も植草益東京大学教授を座長とする学者グループによる「情報通信産業分野競争政策研究会」によって、1987年2月17日に、公正取引委員会に対する「電気通信分野における競争政策の展開」という提言がなされ、その中で、NTTは現在その1事業部であるデータ通信事業本部においてデータ通信設備サービス事業を行なっているが、NTTが基本通信事業を行なっているために、「共通的経費の分計に困難性があるので、NTTが独占力を保持している基本通信事業分野において得た利益をデータ通信設備サービス事業に投入し、採算を度外視した事業を行ない、競争事業者の事業遂行を困難にするおそれがある」などの懸念が現実のものとなる可能性があり、データ通信事業本部をNTT本体から分離・独立することが望ましいと考えられると提言している。
実際、1987年12月3日開催の「コンペティション・サミット ‘87」で、当時の奥山雄材郵政省電気通信局長は、その配布資料の中で、「日本における自由化の成果と今後の課題」と題して、次のような見解を表明している。「今後とも電気通信事業の健全な発展を促すために、郵政省としては以下のような施策を講じていく考えであります。まず、第1種電気通信事業に関しましては、今後、競争のメリットがより一層利用者にもたらされるように、新規参入業者とNTTとの間に公正かつ有効な競争が成立するような条件を確保することであります。(中略) NTTが異なったサービス間において内部相互補助を行なわないようにすること、新規参入事業者を育成するための金融財政面の支援措置を充実させること等適宜講じていきたいと考えております。」
こうした競争政策とは相反する競争者育成政策を掲げたNTTに対する規制強化の方向が、独占禁止法の「公正かつ自由な競争を促進」するという精神に合致するものであるかどうかは疑問が残るが、このような動きが、民営化を経てNTTが独占禁止法の対象となったことを契機としているということは事実である。つまり、公社時代(1952年8月〜)には、電話、電報さらに専用、加入電信、データ通信等の各種サービスのうち、あるサービスの料金収入の一部をもって他のサービスの赤字を補填する形でサービス相互間の内部補助を行ない、全体としての収支均衡を図っていたのに(岩井, 1979)、民営化を契機にして、独占禁止法の対象とされるようになったのである。多事業を行なう事業体において、独占事業の利潤をもって、競争事業の赤字を補填したり補助したりすることは許されないというのが、公益事業規制のメイン・テーマの一つであり、独占に近い事業から他の競争状態の事業への内部補助は、規制当局の関心事であるとする主張がなされるようになってきたのである(佐藤, 1985)。
こうした状況の中で、電気通信事業会計規則(昭和60年郵政省令第26号)では、附則で、当分の間適用しないとされているものの、第5条において、役務別損益明細表を作成し、附属明細書として記載すべきとされ、同条の指定する別表第2の様式第22の役務別損益明細表によると、電話、電信、電報、専用、データ通信、ディジタルデータ伝送、無線呼出し、その他、について、さらにこのうち電話については、公衆電話、自動車電話、その他の移動体電話、その他、について、それぞれ、営業収益、営業費用、営業利益を出すことになっている。
このような5のNTT外部からの圧力と、4のNTT自身の制約から脱したいという考えが背景となって、データ通信事業本部は1988年7月1日にNTT本体から分離・独立して、資本金100億円、社員数6,800人のNTTの100%子会社、NTTデータ通信鰍ニして営業を開始したのである。ただし、NTTデータ通信は、NTTの本体業務の切り出しという点では、民営化後3年以上を経過して、初めて、かつ唯一の例外であるということには注意がいる。NTTデータ通信は分社・分離会社であり、NTT自身によっても、後述するような「新規事業会社」としては扱われていない。
ここで重要なことは、NTTデータ通信がNTT本体から分離・独立する際にそれを促進するように働いたNTT内外の力は、NTTがその本体で許容されている業務範囲である国内電気通信事業に属する新規の事業を展開しようとする際にさえ、マイナス要因として働くことになるということである。このように、NTT本体での新規事業展開は、民営化を経ても、公社時代からの制約を残している上に、さらに独占禁止法の対象となったことを契機にして、郵政省の規制欲求や世論の風当りを受けやすくなっているといえる。
以上のような基本通信事業の他に、民営化以前からあった附帯業務・目的達成業務も民営化後、NTT本体で行なうことができるようになっている。実際、NTTは、公社時代に行なっていた附帯業務・目的達成業務を民営化後も支障なく継続しているだけではなく、さらに、1985年4月の民営化の後にも、NTT本体内で附帯業務・目的達成業務を新たに展開している。その結果、1988年3月31日現在でのNTTの附帯業務・目的達成業務は次のとおりである。
このうち、端末売切りは、公社時代に郵政大臣の承認を得た上で、売切り方式の試験実施を親子電話、ホームテレホンD及びビジネスホンの3商品を対象として実施しており、第1次試験(1983年7月〜12月)、第2次試験(1984年1月〜6月)、補強試験(1984年7月〜9月)と1年3ヵ月にわたって、民営化の6ヵ月前まで行なっていたものが、民営化後に届け出たものである。
附帯業務・目的達成業務は有価証券報告書の中では一括して附帯事業として扱われており、その附帯事業営業収益の規模は、表6.5に示されるように民営化以降、着実に伸び、しかもNTTの営業収益全体に占める比率も大きくなってきている。その意味では規模的には積極的に展開しているといえるだろう。ただし、この大部分が端末売切りによるものであり、民営化前の端末のレンタルが売切りに切り替わったために附帯事業となったものであるということには注意を要する。
表6.5 NTTの附帯事業営業収益
年度 | |||
---|---|---|---|
1985 | 1986 | 1987 | |
附帯事業営業収益(億円) | 1,601 | 2,634 | 3,162 |
増加率(%) | 64.5 | 20.0 | |
営業収益全体に占める比率(%) | 3.1 | 4.9 | 5.6 |
この両業務の区別について、会社法には明記されていないが、日本電信電話株式会社法施行規則(昭和60年郵政省令第23号)の第1条において、附帯業務については「当該業務に係る収支を明確にした上で、収支相償うように営むもの」ということで、附帯業務の方が商売としての性格が強いことを匂わせている。しかし、実際上、両業務の区別は明確なものではない。会社法第1条により、附帯業務に関しては届出が、目的達成業務に関しては認可が必要となるが、こうした郵政省への届出、認可の調整は、NTT経営企画本部が行なっていて、どのような業務が附帯業務・目的達成業務に該当するのかは、業務ごとに個別に整理することになっており、事実上は郵政省との折衝で決まってくるものと思われるので、NTT内部だけで、実際にある業務が附帯業務に該当するのか、それとも目的達成業務に該当するのかを事前に判断することは難しい。したがって、最終的には附帯業務として届け出ることになるような業務であっても、届出だけですますことができるという性質のものにはなってはいない。
民営化時点の1985年4月の『NTT施設』の記事「新規事業」の中で示されたNTT側の理解は次のとおりである。「附帯業務とは、国内電気通信事業そのものではなく、技術的・設備的要素等からそれに関連する業務であり、新しい附帯業務の例としては、(1)端末設備等の売切り販売、(2)コンサルティング等が考えられます。また、目的達成業務は人的・技術的経営資源の利活用を図りNTTの収支改善に寄与させようとする業務ですが、この例としては、従来からのものとして、(1)海外電気通信プロジェクトのコンサルティング、(2)資産等の有効利活用、等があります。」ただし、郵政省との折衝を経るために、時間も手間もかかることになる。その点では、タイムリーな事業展開は難しい。
以上のような事情から、民営化以後もNTT本体での事業展開に対する規制は残ることになる。しかし、これは公社側にとっても覚悟していたことと思われる。なぜなら、表6.4にあるように、公社側の提言した3方式では、どの方式でも、NTT本体の業務範囲だけをみれば、公衆電気通信業務及びこれを助成・補完する業務となっていて、旧制度同様に自ら限定してしまっているからである。その代わりに公社側はどの方式になった場合でも、出資・投資のところで、それ以外の業務を拡充・創出する場合には、別会社を設立するということで、実質的な自由を得られるように希望しているのである。
この公社側の提言を受けて、1982年5月17日に出された臨調第4部会報告『3公社、特殊法人等の在り方について』では、「改革意見」の中に、「経営形態変更の内容」の1項目として「合理化推進の観点から、業務範囲については公益上支障のない限り、大幅にこれを認め、弾力的投資活動を行なわせる。」が挙げられた。そして、1982年7月30日に出された臨調の「行政改革に関する第3次答申: 基本答申」では「3公社の民営化、合理化」の日本電信電話公社の部分の「経営形態の変更」の1項目として、これと同一のものが挙げられたのである。
そして実際に新制度である会社法では、この件についての公社側の希望は実現されることになる。ここに、子会社群を舞台としたNTTの事業展開上の自由が実現する。民営化以後、新制度である会社法のもとでは、表6.4でもわかるように、NTTは出資・投資に関する規制を全く受けていない。実際上でも、公式の規制は全くなく、出資・投資に関しては、自由を得たことになる。具体的には、
したがって、1、2からもわかるように、出資・投資をする時点での規制や制約は全くなく、別会社を設立した後でも、3、4でわかるように、必要なときに不正などのチェックが行なわれるにすぎない。公式には、監督官庁である郵政省に対しても、別会社設立の際に説明をしたり、了解を求めたりすることは行なわれていないようである。将来的に、子会社が成長し、NTTの連結決算の対象となるような事態になれば、4については状況が変わることになるが、規制という観点からの状況は実質的には変わらないと思われる。
まさに、NTTは民営化によって、出資・投資の自由と事業展開の自由を獲得したことになる。その結果、1987年4月に当時の加田五千雄新規事業開発室長は「私どもの新規事業の展開においては、ほとんどすべてを子会社という形でNTTの外で展開しておりますし、(後略)」と講演している(講演の内容は「子会社展開の基本方針と活性化戦略: NTT新規事業の諸問題を語る(上)」として『週刊テレコム』1987年5月7日号に掲載されている)。つまり、NTTの事業展開は新規事業会社と呼ばれる子会社群を舞台としたものに大きく様変わりすることになるのである。
前述のように、旧制度のもとでも、規制はあったものの、公社は別会社を作ることも、合弁事業会社を作ることも一応可能ではあった。公社法の第3条には、業務(=公衆電気通信業務)の運営上必要がある場合、公社の委託を受けて、公衆電気通信業務の一部を行なうことを主たる目的とする事業等に対し、郵政大臣の認可を受けて出資できるとされていた。こうした公社の本体業務の切り出し事業が公衆電気通信業務の委託事業と呼ばれ、それを行なう会社は「受託会社」と呼ばれた。ただし、社史(pp.398-400)でも受託会社と委託会社の両方の名称が混在しているように、公社時代には、あくまでも公社中心に物事を考えていたために、これを「委託会社」と呼ぶ呼び方の方がむしろ広く使われていたようである。しかし、それは現在のNTTにおける新規事業とは全く異なる概念・発想に基づいた制度であった。子会社戦略展開の現状を旧制度下の委託事業と対比しながら見てみよう。そのことにより、民営化を境にして、子会社戦略が大きく転換したということがわかるだろう。
民営化以降にNTTが出資した会社のうち、金だけではなく、人の点でもNTTから出向者の出ている会社を「新規事業会社」とNTTでは呼んでいるが、民営化から3年、1988年3月31日までに設立された新規事業会社は既に143社にもなっている。こうした新規事業会社のもっている特徴をみながら、「新規事業」と委託事業との本質的な違いについて考えてみよう。なおNTTデータ通信鰍ヘNTTの本体業務を切り出した唯一のケースであるが、このような本体業務の切出しによるものは、分社・分離会社と呼ばれ、新規事業会社とは呼ばれず、さらに設立時点が1988年7月1日であるので、ここでの考察の対象からは除いてある。
既にふれたように、受託会社の事業内容は制限列挙された公社の本体業務の切り出し事業に限定されていた。具体的な事業分野としては、委託事業は公社法第3条に基づく政令である公社法施行令第1条に列挙される、船舶通信会社、自動車電話会社、キャプテン会社、ポケットベル会社等の事業に限定されていた。民営化直前の1985年3月31日現在で、船舶通信会社1社、自動車電話会社2社、キャプテン会社1社、ポケットベル会社16社、その他に該当する空港無線サービス会社1社の計21社が設立されていた。受託会社に対する公社の持株比率は5.3%〜60.0%となっていた。
それに対して、新規事業会社の事業内容は、それとはむしろ正反対の性質のもので、本体業務である電話事業の単なる切り出しにすぎないような別会社設立は行なわないことを原則としている。いい換えれば、『NTT施設』(1986年6月号)の「NTTの新規事業開発」と題した記事の中で述べられているように、新規事業会社は「NTTへの依存度を極力少なくし、自ら新しい事業を開拓していくものでなければならない。すなわち、収入をNTTにのみ依存する会社やNTT本体からの仕事だけを請け負う会社は、原則として作らないこととしている」のである。その結果、新規事業会社の事業分野は、はるかに多様であり、かつ、本体業務とは異質なものを含んだ内容になっている。
そこで、1988年3月31日現在使用されている分類を使って、1986年3月31日までに設立された37社、1987年3月31日までに設立された84社、1988年3月31日までに設立された143社のNTTの新規事業会社の進出分野別の分布をみてみょう。
表6.6によると、会社数、出資額の点で、中心分野は1と3であり、特に、「1ア、VAN、LAN、データベース分野」と「3ア、不動産開発分野」とで、1985年度末で56.6%、1986年度末で52.3%、1987年度末では48.2%と年々低下はしているものの、出資額全体の50%程度を占めている。それに比べると4の分野は、会社数こそ多いものの、持株比率も低く、新規事業会社全体から見ると、その出資額は微々たるものである。
表6.6 NTTの新規事業会社(1985年4月以降の設立)の進出分野
1986年3月31日 | 1986年3月31日 | 1986年3月31日 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
会社数 | 出資額 | 会社数 | 出資額 | 会社数 | 出資額 | ||
1. NTTの技術を利活用し、情報通信産業の発展に資するもの | 小計 | 20 | 4,785 | 33 | 12,112 | 52 | 16,851 |
ア. VAN、LAN、データベース分野 | 4 | 1,888 | 9 | 5,750 | 14 | 5,949 | |
イ. ソフトウェア、情報処理分野 | 7 | 714 | 11 | 872 | 15 | 1,461 | |
ウ. キャプテン等ニューメディア関連分野 | 4 | 231 | 3 | 220 | 5 | 363 | |
エ. テレコントロール事業分野 | 1 | 80 | 1 | 130 | 6 | 551 | |
オ. コンサルティング、エンジニアリング事業分野 | 3 | 1,672 | 3 | 1,672 | 4 | 1,698 | |
力. インテリジェントビル関連分野(1) | 0 | 0 | 4 | 183 | 4 | 201 | |
キ. 高度技術応用関連分野 | 1 | 200 | 2 | 3,279 | 4 | 6,628 | |
2. NTT業務を支援し、よりよい電気通信サービスの提供に資するもの | 小計 | 6 | 741 | 11 | 2,871 | 22 | 3,500 |
ア. レンタル・リース事業分野 | 2 | 283 | 3 | 423 | 4 | 464 | |
イ. テレホンカード分野 | 1 | 15 | 1 | 15 | 1 | 19 | |
ウ. 宣伝・広告等分野 | 1 | 38 | 1 | 38 | 3 | 75 | |
エ. 社員の福利厚生分野 | 1 | 10 | 2 | 55 | 2 | 55 | |
オ. 電柱敷地等管理分野(2) | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 221 | |
カ. 設備保全分野 | 1 | 395 | 1 | 395 | 2 | 399 | |
キ. 電話帳分野(1) | 0 | 0 | 1 | 150 | 2 | 186 | |
ク. ファイナンス分野(1) | 0 | 0 | 2 | 1,795 | 2 | 1,795 | |
ケ. 物流分野(2) | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 90 | |
コ. リエゾン分野(2) | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 196 | |
3. NTTが保有する人的・物的資源を利活用し、社会の利便向上に資するもの | 小計 | 5 | 3,151 | 20 | 5,670 | 35 | 10,024 |
ア. 不動産関連分野(2) | 1 | 3,043 | 2 | 5,180 | 4 | 8,946 | |
イ. 不動産利活用分野 | 2 | 35 | 5 | 177 | 14 | 655 | |
ウ. オペレータサービス分野 | 2 | 73 | 11 | 289 | 16 | 403 | |
エ. 情報提供サービス分野 | 0 | 0 | 2 | 24 | 1 | 20 | |
4. 地域社会の要請に応えて出資するもの(ローカル・キャプテン会社を含む) | 6 | 36 | 20 | 243 | 34 | 512 | |
合計 | 37 | 8,713 | 84 | 20,896 | 143 | 30,887 | |
新規事業開発室及び関連企業本部扱いの総出資額 | 約8,700 | 約22,000 | 約34,000 |
受託会社は公社との間に委託契約を結び、それに基づいて公社によって委託費が支払われていた。そのことにより、公社の丸抱えで、常にそこそこの黒字が出るように委託費の額が調整されていた。したがって、仮に受託会社の経営努力により黒字額が大きくなったとしても、それはその分だけ委託費が削られることを意味するだけであり、逆に経営努力を怠り、赤字が出そうになっても、委託費を増やしてもらうだけですむ。つまり、受託会社は経営努力という言葉とは無縁の会社だったのである。
それに対して、新規事業会社では、設立の段階の事業計画では、設立当初は赤字になることが想定されていて、3年で単年度黒字を出し始め、5年で累積赤字の解消をすることが目標とされている。各社の経営努力により、1986年度末で84社中10社前後、さらに1987年度末で143社中27社と予想以上に早いペースで単年度黒字を出すようになっているというが、それでも他の会社は赤字であり、経営努力とは無関係に原則黒字の受託会社とは本質的に違いがある。
NTTの商法上の子会社は、受託会社3社(日本船舶通信梶A日本空港無線サービス梶A沖縄通信サービス)を含んでいる(このうち、沖縄通信サービス鰍ヘNTTの持株比率が50%であるが、NTTの60%持株子会社である日本空港無線サービス鰍ェさらに3%株式をもっているために、子会社となっている)。有価証券報告書によると、この受託会社3社を含めたNTTの商法上の子会社の総資産合計額、売上高合計額、及び、当期純損益額のうちNTTの持分に見合う額の合計額は、表6.7に示されているようになるが、子会社全体としては、受託会社を入れた単年度でみてもまだ赤字であり、売上高合計額が総資産合計額をまだ下回っている状態にある。
表6.7 NTTの商法上の子会社の総資産・売上高・当期純根益
1986年度 | 1987年度 | |
---|---|---|
総資産合計 | 37,000 (0.34%) | 64,038 (0.59%) |
売上高合計 | 30,439 (0.57%) | 55,971 (0.99%) |
当期純損益のうち持分に見合う額の合計 | -1,051 (-0.71%) | -2,562 (-1.05%) |
子会社数 | 34社 | 59社 |
次に、持株比率別の新規事業会社設立状況をみてみよう。NTTの経営戦略上及び商法、国家公務員等共済組合法、財務諸表規則の点から意味のある区切りとなるNTTの持株比率は、次のようにまとめられる。
ここで、共済組合包摂の条件について、もう少し詳しくみてみると、国家公務員等共済組合法第111条の5では、NTTと業務、資本、その他について密接な関係を有する会社を共済組合包摂会社としうる、とされていて、その具体的条件として、国家公務員等共済組合法施行令第30条の2で、(1)NTTと密接な関係を有する業務を行なう法人、(2)NTTの出資比率が常時25%以上、(3)子会社の発足時にNTTからの社員が過半数を占めること、とされている。さらに、(1)の「NTTと密接な関係を有する業務を行なう法人」については「国家公務員等共済組合法等の運用方針」という大蔵大臣通達に定義があり、NTTの行なう電気通信事業の一部を代行する法人、NTTの行なう電気通信事業の附帯・目的達成事業に関連する事業を行なう法人、NTTの合理化・効率化に資する事業を行なう法人、とされている。
そこで、このNTTの持株比率についての区分を使って、設立された新規事業会社及び受託会社を分類すると表6.8のようになり、次のような特徴のあることがわかる。
したがって、受託会社に比べて、新規事業会社での持株比率は、その両端に多く分布しているということができる。100%出資会社は、通常の民間会社では、将来、株式を上場公開した場合、株式の売却により、キャピタル・ゲインを挙げ、営業外収益の形で投資を有利に回収できる可能性をもっている会社である。商法上の子会社は将来成長すれば連結決算の対象となる会社で、NTTにとって重要な「子会社」といえる。それに対し、持株比率20%未満の会社は、NTTにとっては関連会社でも何でもない会社である。この両端に多く分布しているということは、個々の新規事業会社の重要性をかなりはっきり識別した上で、積極的に性格づけを行なっているということである。受託会社では持株比率20%以上50%未満の関連会社に21社中15社も入ってしまい、性格づけがかなり不鮮明で灰色となっているのに比べると、新規事業会社では、個々の会社の重要性の認識を持株比率に積極的に表しているといえる。
表6.8 受託会社・新規事業会杜での持株比率別分布
受託会社 | 新規事業会社 (1985年4月以降設立) | ||||
---|---|---|---|---|---|
1985年 3月31日 | 1986年 3月31日 | 1987年 3月31日 | 1988年 3月31日 | ||
設立総数 | 21 | 37 | 84 | 143 | |
NTT 持 株 比 率 別 |
100% | 0 | 5 | 10 | 18 |
50%超〜100%未満 | 2 | 10 | 21 | 38 | |
1/3超〜50%以下 | 6 | 14 | 19 | 29 | |
25%以上〜1/3以下 | 7 | 2 | 2 | 5 | |
20%以上〜25%未満 | 2 | 0 | 4 | 5 | |
20%未満 | 4 | 16 | 28 | 48 | |
うち共済組合包摂会社 | 0 | 22 | 40 | 61 |
受託会社はいわば公社のOBの受け皿会社としての機能を果たしていた。受託会社に一旦出た公社職員が公社に復帰することは原則としてなかったのである。それに対して、新規事業会社では、社長等の年齢の高い者を除いては、要員の配置は在籍出向もしくは移籍出向の形態で行なわれる。どちらの形態であっても、原則として3年以内の出向期間で100%がNTTに復帰することになっている。民営化後3年間では、まだどの会社も設立後3年を経過していないが、既に数十名のオーダーで出向者が復帰しつつある。
こうした出向者の出向中の給与は、NTT本体に残っていた場合と同水準の額が保証されており、もし各々の会社の業績が好調なときには、それ以上の給与を受けてもかまわないことになっている。また、在籍出向の場合にはNTTに籍があり、共済組合に入ったままなので心配はないが、たとえ移籍出向になったとしても、表6.8からも明らかなように、新規事業会社のうち共済組合包摂会社は、1985年度末には37社中22社、1986年度末には84社中40社、1987年度末には143社中61社にのぼり、これらの共済組合包摂会社では共済組合に関してNTTにいるときと同じ扱いが受けられるようになっている。
ところで、共済組合に包摂されているということは、前述の国家公務員等共済組合法施行令第30条の2にある第3の条件である子会社の発足時にNTTからの社員が過半数を占めること、という条件を満たしているということである。つまり、少なくとも新規事業会社の約半数は、設立時にNTTからの社員が過半数を占めていた会社だということになる。しかも、出向者は30代、40代の働き盛りを中心としており、本社採用のいわゆる学士組も積極的に出向に出されているといわれる。新規事業会社では、本当の意味での現役のNTT社員が働いているのである。
以上のような点から、公社の受託会社とNTTの新規事業会社では、発想の段階から全く異質の会社であるということができる。そして、民営化前には本体業務を切り出して、人員受け皿会社である受託会社を作っていたNTTが、民営化のプロセスを経て、別会社を舞台に新規事業の展開を図る方向へ子会社戦略をいわば180度転換したということをより鮮明にしている。つまり、NTTの場合は、世間一般の「子会社への出向」(それは公社時代の受託会社に出ることに対応していると思われるが)とは全く異なる意味と位置を「子会社への出向」に与えたのである。どうやら、このことが、この章の冒頭に挙げたようなメンバーの活性化につながっていると思われる。
前章で明らかになったように、この民営化によって、NTT本体での事業展開上の制約は残ったものの、NTTは別会社設立による事業展開の自由を獲得することができた。この実質的な事業展開の自由を利用して民営化後に続々と設立された新規事業会社群は、民営化前の受託会社とは全く性質の異なった会社群であり、子会社戦略をいわば180度転換したといってもよいものであった。どうやら、そのことが、子会社への出向という、本来あまり好ましくないはずの状況下での活性化につながっていると思われるのだが、それでは、このような子会社戦略の転換はどのようなプロセスを経て行なわれ、どのような形でシステム化、制度化されたのであろうか。そして、それがどうして活性化につながったのであろうか。
この章では、やはり民営化後3年までの公社からNTTへの民営化プロセスに焦点を当て、前章で明らかになったようなNTTの子会社戦略の転換が、民営化のプロセスをとおして、本体業務の切り出し・別会社分離ではなく、新規事業の開発にのみ重点を置く形で、革新の制度化を行なったものであること、そして、出向者を3年以内にNTT本体に復帰させることを保証して、NTTという法的な一企業の枠を超えて、人的に結びついたNTTグループを形成することで、NTTという制約・規制に縛られた一公企業の枠内では余剰となってしまう人員をNTTグループ全体で人的経営資源として活かすことを意図したものと考えられること。その結果、新規事業会社への出向により出向者自身をも活性化することになっていることを明らかにする。
NTTの子会社戦略の転換には、民営化以前の民営化プロセスの中での取り組み方が大きく影響している。そこで、民営化プロセスの中で、公社がどのような形で子会社戦略へ取り組んでいたのかをみてみることにしよう。公社の民営化か具体化する中で、別会社設立の自由は、公社の本体業務の切り出し・別会社分離による、旧来の受託会社のような人員の受け皿会社ではなく、むしろ全く正反対に、公社本体での事業には含まれていないという意味での「新規事業」展開のための会社設立にのみ重点を置いた方向で、新しい子会社戦略の形をとって具体化してくることになる。
前章でも述べたように、1982年2月26日の臨調第4部会ヒアリングの後、第4部会は1982年5月17日に、公社の経営形態変更を骨子とする改革案『3公社、特殊法人等の在り方について』を臨調に報告し、さらに臨調は1982年7月30日に第3次答申(基本答申)を鈴木首相に提出したが、これら一連の改革案の中には「合理化推進の観点から、業務範囲については、公益上支障のない限り、大幅にこれを認め、弾力的投資活動を行なわせる。」が盛り込まれていた。
この第3次答申が出た1982年の夏には、早くも公社では真藤恒総裁の特命に基づいて、総裁室経営調査室に、業務監理局次長をリーダーとする新規事業プロジェクト・チームが設置されている。また、本社の各部門では、並行する形で課長クラスにより構成される新規事業ワーキング・グループが新規事業開発の検討に着手して、それぞれが個別に総裁に説明を行ないながら、将来の新規事業開発に対する考え方が整理されていったといわれる。つまり、この段階で既に、新規事業を前提にした課題の立て方がなされているのである。
その後、1983年2月4日になって、総裁室経営調査室は廃止され、その代わりに、今度は、全社的な基本戦略、特に、経営形態問題とINS推進にかかわる問題について、基本的方針を検討・策定・推進するため、公社の本社内部局として総裁室企画室が新たに設置された。企画室自体は発足時17名で構成された小グループで、むしろワーキング・グループやプロジェクト・チームの編成をして、課題の方向性の確立、時間的な進行管理を仕事とした部局であり、グループ・リーダーとして各部局の局・次長クラスを、幹事として調査役、課長クラスを指名し、企画室に兼務発令していた。
その中の検討課題の一つとして、新規事業の開発推進も取り上げられ、石井康雄企画室次長をリーダーとし、本社課長クラスより構成される新規事業プロジェクト・チームが設置され、さらに、その下に、課長補佐クラスによって構成される新規事業ワーキング・グループが設置された。
このうち、新規事業プロジェクト・チームにおいては、事業領域の拡大、新規事業開発に関する全体的検討と事業案ごとに延べ約20のサブグループに編成して行なわれたフィージビリティ・スタディ(feasibility study 以下「FS」と略記)とが実施された。
一方、新規事業ワーキング・グループの方は5つのサブグループに分かれ、新規事業の種探しを行ない、有望事業案についてFSを行なった検討結果を新規事業プロジェクト・チームに報告し、1983年10月に解散した。
ここで注目されるのは、新規事業プロジェクト・チーム及びワーキング・グループのメンバーには、当時、受託会社を管理していた部署である営業局関連事業課の関係者を入れていなかったという点である。このことにより、民営化をにらんだ子会社戦略の形成は、それまでの公社の子会社戦略を継承するのではなく、全く白紙、または、むしろ否定し、別方向に向けられてスタートすることになる。
企画室が関係したプロジェクト・チーム及びワーキング・グループは企画室発足直後は14あったが、検討を終了すれば廃止、新たな検討課題があれば新設ということを繰り返し、民営化直前の1985年3月27日現在で17のチーム、グループが存在していた。この間に、ずっと存続し続けたのは、新規事業、料金体系、事業計画の3つのプロジェクト・チームだけであった。この間、1983年の夏には真藤総裁の手による『私の「三方一両得」論』が管理者用に非売品として出版されているが、その中の一つの章が「新規参入と新規事業の創出」に当てられ、新規事業開発は民営化の流れの中での重要な課題の一つに位置づけられていた。
このような一連の経過の中で注意が必要なのは、新規事業プロジェクト・チームの作業やFSは、民営化後に本番を迎える新規事業開発の単なるリハーサルやシミュレーションではなかったということである。FSは「新しいプロジェクトの事業化の可能性を評価するための調査」として。この新規事業プロジェクト・チームの段階で、既にそのスタイルはほぼ完成され、分析検討を行なっていたといわれる。そのFS調査項目は、『NTT施設』1985年4月号掲載の記事「新規事業」をもとにして、不明点などを確認の上で、整理し直すと、表7.1に示すようになる。
表7.1 新規事業のFS調査項目
フィージビリティ・スタディ(FS)調査項目 | ||
---|---|---|
1. 市場調査 | 事業内容 |
・事業コンセプト、事業の具体的内容 ・商品メニュー、個々の商品コンセプト |
マーケット |
・市場の有無・成熟度・将来性 ・対象となる顧客層 ・市場規模 | |
競争 |
・競争相手(同一製品、類似製品) ・獲得シェア見込み ・既存業界との協調・摩擦 | |
事業展開 |
・全国規模かローカルか ・組織体制と人員配置 | |
企業化のタイミング |
・NTTの長期戦略との関連 ・外部環境情報(競争相手、行政機関の動向) | |
2. 経営資源調査 | NTTの持つ経営資源 |
・技術力(特許、ノウハウ) ・人材 ・販売力 ・資産 |
ジョイントの必要性 |
・各種ノウハウ ・販売ルート ・人材 | |
3. 事業計画 |
・収支計画(収支見通し) ・資金計画 |
この表7.1にあるようなFS調査項目、調査内容及び手法等は、民営化後も若干の手直しをしただけで使用されている。ただし、これは共通の、いわば必要最小限の項目で、事業内容によっては、法制度の調査等、この表にある項目以外にも、事業化するに当たって事前にチェック、検討すべき項目があるといわれる。
既に述べたように、新規事業プロジェクト・チーム設置後、1年4月後の1984年6月1日には、その最初の成果ともいうべき潟eレカが実際に設立されているし、民営化前の段階でもFSによって、一定の結論が得られた事業案については、実際に新規事業会社への派遣予定職員による準備グループを発足させてもいる。そして、1985年4月1日の民営化を待って、NTTリース(1985年4月11日設立)、総合通信エンジニアリング(1985年4月26日設立)、NTTシステム技術(1985年5月16日設立)といった新規事業会社を矢継ぎ早に設立していったのであるが、そうした背景には、このような新規事業プロジェクト・チームのぶっつけ本番的、試行錯誤的な活動があったのである。そのために、1985年4月の民営化、NTTの発足と同時に、総裁室企画室は経営企画本部に発展解消され、経営企画本部の外局の一つとして新規事業開発室が設置されて、新規事業開発を専門的に扱うようになったが、それでも、前述の3つのプロジェクト・チームのうち、新規事業プロジェクト・チームだけは、民営化前からの計画が進行していた新規事業会社を設立するために、民営化後もしばらく存続していたのである。
公社は新規事業開発に本格的に取り組むに当たって、同じ公益事業の大阪ガスの新規事業開発を参考にしたといわれる。大阪ガスの場合も、一般の需要に応じ導管によりガスを供給する事業である一般ガス事業を行なっているために、ガス事業法第12条によって、一般ガス事業者は通商産業大臣の許可を受けなければ、一般ガス事業以外の事業を営んではならないとされる。さらに、同条の第2項で、通商産業大臣は、一般ガス事業者が一般ガス事業以外の事業を営むことにより、一般ガス事業の適確な遂行に支障を及ぼすおそれがないと認めるときでなければ、前項の許可をしてはならないとされている。したがって、ガス会社がガス事業以外の事業に進出することを制限されているために、新規事業は別会社を設立して当らせる必要があり、公社の民営化後の想定と似たような制約条件下にあったことになる。
大阪ガスでは原料を安定的に確保するために、1972年から、豊富な液化天然ガス(LNG)の導入を図り、ガスの原料を石炭系・石油系から脱してLNGへと変化させることを基本路線としてきた。またこれと同時にガスの熱量を4,500キロカロリー/立方メートルから11,000キロカロリー/立方メートルへと変更し、従来の導管を使って2.4倍の熱量を送ることにより、設備利用の点から経営効率化を図ることとし、1975年から熱量変更作業も開始した。しかし、その結果、ガス器具の熱量調整の工事のために約1,600人の直営工事要員を抱えることになってしまった。1984年度で供給ガスの75%がLNG化され、1990年にはLNG化が終了してしまうという状況の中で、直営工事要員を有効活用することが必要となっていた。
そこで、別会社設立による新規事業開発ということになるのだが、大阪ガスの関係会社は1984年度末(すなわちNTT民営化の直前)で、会社数で36社、売上高で1,414億円(大阪ガス本体の売上高は6,270億円)にまでなっていたが、その新規事業開発における特徴はおおまかに次のようにまとめられる(cf. 石田・松山, 1986)。
これらの大阪ガスの新規事業開発の特徴はNTTの新規事業開発に影響を与えていくこととなり、以上の6項目については、NTTにおいてもほぼ踏襲され、NTTでも同じような特徴を見出すことができる。
しかし、ここで大阪ガスと比較したときの大きな違いも挙げておく必要がある。それは、大阪ガスが自社の事業内容を「総合生活産業」とし、ドメインの定義を行なっているのに対し、NTTはそうしたドメインの定義をあえて行なわなかったということである。これは大阪ガスのような関係会社経営の経験やノウハウの蓄積がなかったために、ドメインなどを設定せずに、まずできそうなところから手をつけてやってみるという方針を第一にしたためと思われる。そのこともあって、民営化後しばらくは、新規事業会社の事業分野についても分類の仕方について模索が続くことになるのである。
以上のように、NTTの子会社戦略はごく短期間の間に急速に具体化するが、それ故に、初期の段階での方向づけ、すなわち、本体業務の切り出し、別会社化は考えずに、新規事業にのみ重点を置くということが、その後の具体化の方向を決定づけることになる。そのことを明確に示すことになったのが、民営化時点までに形成された新規事業開発のシステムと、民営化後ほぼ1年を経て行なわれた新規事業開発の基本原則の作成である。
民営化の段階でNTTの新規事業開発のシステムの中心に置かれたのは、既に触れている、民営化時点で設置された新規事業開発室である。この新規事業開発室を中心にして形成されたNTTの新規事業開発のシステムについて考えてみることにしよう。
新規事業開発室は、経営企画本部の外局的組織であり、NTTが新規事業開発したものに限らず、「建設投資」を除く、次のようなNTTの出資・投資のすべてを扱うことになっていた。
ここで、1、2、3の「新規事業会社」と4の「出資」との違いは、「新規事業会社」は、金だけでなく、人の点でもNTTから出向者の出ている会社であるが、「出資」の場合には、こうした人的なつながりはなく、単に、金銭面での出資にすぎないという点にある。したがって、「出資」の対象は、例えば、営業上のつき合いの上で出資を行なうような会社である。この「出資」がどの程度の規模になるのかは、前章の表6.6の新規事業会社への出資額の合計と、新規事業開発室及び関連企業本部扱いの総出資額の差額を見ることでおおよその見当がつく。1985年度はほぼ0だったが、1986年度は約10億円、1987年度はさらに約20億円という規模で、全体としては、総出資額の10%以下となっている。
したがって、残りの90%以上が新規事業会社への出資ということになるのだが、新規事業会社の場合でも、新規事業会社設立時より出資している「1. 新規事業会社の設立」のケースと、前章で述べた潟eレカのケースのように、手続き上の便宜から、新規事業会社設立時には資本関係を持たず、設立後に出資を行なう「2. 新規事業会社への参画」のケース、さらに、そのどちらのケースでも、3の追加投資のケースがある。追加投資のケースの多くは、設立時に既に計画・予定されていたものといわれるが、それだけではなくて、事業展開に伴って、新たに追加投資が必要となるケースもある。しかし、新規事業会社に対しては、資本金以外では、融資や債務保証等の金銭面での援助は行わないことになっている。
計画・予定されていた追加投資を除いた(1)での3のケースと、他の1、2、4のすべてのケースで、NTTは共通の手順・手続きを踏んで出資・投資の決定・実行を行なっている。それを表わしたものが新規事業開発フローと呼ばれているものである。『NTT施設』1986年6月号掲載の記事「NTTの新規事業開発」を基にして、不明点などを確認の上で、整理すると、図7.1に示されるようになる。このフロー自体は、民営化の時点で既にでき上がっていたといわれる。この図で、各段階の実施主体として取り上げられている各部署は、NTTの組織図上では図7.2に示されたような位置関係にある。
図7.1 新規事業開発フロー(1987年12月末現在)
図7.2 新規事業開発の組織(1987年12月末現在)
このうち、ジョイント・ベンチャー委員会(以下「JV委員会」と略称)は、民営化前の1985年1月21日に設置されたものである。当時、他企業からの合弁申し込みが多くなってきたために、NTT内の有識者によって構成され、合弁事業案件についての審議・評価を行なう総裁の私的な特命機関として発足した。民営化以後は、常務会の下に設置される「経営戦略及び技術開発に関する委員会」の一つとして、正式に位置付けられ、事務局としての仕事には新規事業開発室が当たることになった。100%出資子会社の場合にJV委員会のような場で審議・評価を行なわないということに、こうしたJV委員会の生い立ちの事情以外に特別の理由はなかったと思われる。実際、JV委員会は1988年7月20日から「関連事業委員会」と改められ、合弁事業案件だけではなく、すべての出資についての審議・評価を行なう機関となった。このため図7.1の新規事業開発フローの第2段階と第3段階の間の「100%出資?」の判断ボックスはなくなり、すべての案件が第3段階で「FS結果を基に、出資と事業化の検討」(下線部が変更箇所)を経ることになった。
次に、設立準備チームは、結成するとなると、そのメンバーに実際に人事発令を行ない、新規事業開発室に所属させることになるので、新規事業開発フローの概ね第3段階、JV委員会により事業化の方向性が了承された後に結成されることが多いが、第1段階のアイデア段階で設立準備チームが結成される場合もある。
また関連企業部の前身である総務部関連事業室は、もともと公社時代に受託会社を管理していた営業局関連事業課が、民営化の際に1985年4月1日付で総務部関連事業室と改められ、関連会社グループ全体の事業政策策定や会社管理を行なう組織として、関係会社の役員人事、出向者管理に関する事項、関係会社事業計画、決算の協議を取り扱うように位置づけられている。さらに設立後1年以上を経過し、経営が安定化した新規事業会社についても、その会社管理が新規事業開発室から関連事業室へと移管されることになったので、子会社展開が活発化するのに伴い、1986年6月26日に、総務部関連事業室から関連企業部へと格上げされた。
新規事業開発フローは4の出資のケースであっても、ほぼ適用されるということは既に述べたが、出資のケースでは、作業の主体がNTTにはなく、NTTは合弁相手の作業結果をチェックし、出資の判断をする立場にある。したがって、第1段階が「新規事業アイデアの探索」というより「新規事業アイデアのもち込み」に近くなるだけで、あとの段階は、ほぼ踏襲される。
以上のように、NTTが民営化プロセスの中で、新規事業開発フロー、及びその実施主体として中核を担っている新規事業開発室を形成するということは、March & Simon (1958, pp.184-185 邦訳pp.281-282)のいう、まさに革新の制度化(institutionalization of innovation)であり、新規事業開発室が常時、新規事業開発を行なうように、制度的に仕掛けられていたともいえる。
ところで、本社の新規事業開発室と対応する形で、各総支社でも1985年11月には新規事業開発を担当する部署を設置している。そのリストは表7.2にあるが、総支社によって「部」となっているところもあれば、部の中の「室」となっているところもあり、その位置付けは各総支社に任されている。総支社レベルの新規事業開発室等は、総支社企画といわれる総支社レベルの新規事業会社を扱い、出向者も移籍させているが、この総支社企画の新規事業会社は結構多く、1985年度で新規事業会社総数37社中の15社、1986年度で84社中46社、1987年度では143社中86社が、実は総支社企画の新規事業会社となっている。また、総支社レベルの新規事業開発室等で出された新規事業アイデアが、全国的に通用する良いものであれば、本社の新規事業開発室で、いわゆる本社企画として焼き直しが行なわれることもある。例えば、1987年10月29日に設立され、11月20日にNTTが出資・参画した押入れ産業鰍ヘ、もともと北海道総支社から出てきた企画が本社企画となったものだといわれる。
表7.2 各総支社の新規事業開発担当部署
総支社 | 新規事業開発担当部署 |
---|---|
東京総支社 | 経営企画部 新規事業開発室 |
関東総支社 | 新規事業開発室 |
信越総支社 | 企画部 新規事業開発室 |
東海総支社 | 新規事業開発部 |
北陸総支社 | 企画部 新規事業開発室 |
関西総支社 | 事業企画部 新現事業開発室 |
中国総支社 | 事業開発部 |
四国総支社 | 業務改善部 新規事業開発室 |
九州総支社 | 事業開発室 |
東北総支社 | 事業開発部 |
北海道総支社 | 事業企画開発部 新規事業開発室 |
ただし、総支社レベルの新規事業開発室等は、実際には本社の新規事業開発室のラインにもなっているので、最終的には、新規事業開発に関して本社の新規事業開発室が一元的に扱っていることにはなる。しかし、民営化後2年目以降は、関連企業部扱いの新規事業会社が増え、それにしたがって、総支社レベルの新規事業開発室等が関連企業部のライソにもなってしまうということで、命令系統が繁雑なものになってしまった。
こうしたことも背景になって、新規事業の開発、育成、管理等の業務ので万化、強化を図るために、1988年1月19日付で、新規事業開発室と関連企業部を統合して、新たに「関連企業本部」を設置することになる。図7.3の組織図上で関連企業本部の中の事業開発推進部がもとの新規事業開発室に、経営管理部がもとの関連企業部に対応する部署である。そして同時に、新しい夕イプのベンチャー・ビジネス等の開発を検討するための準備チームとして「新分野事業開発本部準備室」を関連企業本部の外局的組織として設置し、発足させた。
図7.3 新規事業開発の組織の統合・再編(1988年1月19日改正)
新分野事業開発本部準備室は15人でスタートし、まず新分野の芽を探すことから出発して、成長すれば、将来的には新分野事業開発本部として独立させる方針といわれていた。しかし、仮に新分野事業開発本部を独立させた場合を考えると、新規事業開発に当たる部署が重複することになってしまうので、結局、実際には関連企業本部の外には出さずに、1989年1月26日付で、関連企業本部内に新分野事業開発本部準備室を取り込み、新分野事業推進部と資産活用推進部を発足させた。前者は、旧電気通信研究所(通研)の先端技術等を使った事業化・企業化を、後者は不動産を利活用することを主な役割としている。
このようなNTTの新規事業会社作りに対する姿勢がNTT内外に明確に示されたのは、新規事業開発の基本原則によってである。
NTT民営化後の1985年11月に各総支社で新規事業開発担当部門が設けられたことは既に述べたが、このことに伴い、NTT内部での新規事業に対する考え方を統一しておくために、1986年1月30・31日に全国新規事業担当者会議が開かれ、そこで『新規事業発想の原点と新規事業推進に当たっての基本原則』が明らかにされた。それとほぼ同時に、1986年1月20日には、社長達第114号として「出向規程」も明文化され、NTTの子会社戦略の考え方が整理されて、明確な形で現れてくることになる。
この会議のときに用いられた資料は、新規事業開発室の当時の寺西昇室長によって作成されたもので、もともとがNTTの内部向けのものだったが、この会議の後では、寺西室長によって対外的にも、NTTの新規事業に対する考え方を説明するために、マスコミ向けや講演の際などに積極的に用いられるようになった。
この資料ではまず、「1. 発想の原点」として、図7.4のような構図が示され、職員に受け入れられる要員配置を実現できるよう新規事業の開発を行ない、事業領域の拡大を図る必要があるのだ、という新規事業発想の原点の説明がなされた。こうした説明は現在でもなされていて、新規事業会社の準備グループや新規事業会社への出向者を対象としたオリエンテーションでも、同様の「新規事業開発の必要性」が説明されているし、対外的な講演でも同様の説明がなされている。
図7.4 新規事業発想の原点
そしてその上で、新規事業推進に当たっての「2. 基本原則」として、次の5つの基本原則が明らかにされた。
この5つの基本原則は、『NTT施設』1986年6月号掲載の記事「NTTの新規事業開発」の中で、「新規事業開発における基本的考え方」ということで、当時、新規事業開発室の中で、寺西室長とともに、基本原則作成に関与した宇治則孝企画調整担当部長と朝倉潤一企画調整担当課長によって、一般社内向けに解説がなされている。この5つの基本原則は、実際的にも図7.1の新規事業開発フローのFSに入る前に、事業案件をふるいにかけるために用いられているが、民営化前の新規事業プロジェクト・チーム時代から、非公式に使われていたものを明文化したものといわれている。
5つの基本原則の1と2は新規事業発想の原点の構図の中に出てくる概念をそのまま要件として書き表わしたものになっている。
基本原則の4については、具体的には、ジョイント・ベンチャーを積極的に行なおうということであるが、このことについては、この時点で明確になったことではなく、民営化前の新規事業プロジェクト・チーム時代から、既に方針になっていたことである。1983年夏当時、真藤恒総裁は、社内の管理者向けに書いた著書『私の「三方一両得」論』の中で、新規事業が「世の中の役に立ち、また競争しながら自立できるようにするにはわれわれの仲間の人間だけで考えるといった閉鎖的な発想では、強い競争力はもてないだろう。仮にもてる可能性があるとしても、民間と共同し、民間の販売ノウハウや活力ある経営力を活用することの方が、より事業を発展あるものとし、ひいては国際競争力を増して、国益に資することになるのではなかろうか。したがって、一つひとつの事業計画について、他企業との協同、協業などの方法を考えねばならないだろう。」(p.132)と既に書いている。その意味では、基本原則4は民営化前後の新規事業開発の現状を追認したものである。ただし、前章の表6.8の所でも述べたが、受託会社には1社もなかった100%出資子会社が民営化後は毎年10%強の割合で設立されてきており、受託会社との比較では、むしろ、受託会社の方がジョイントを原則としていたといえるのかもしれない。
また、基本原則の3も、実際には現実の新規事業会社の進出分野の妥当性を事後的に説明するような形になっている。民営化時点の『NTT施設』1985年4月号掲載の記事「新規事業」によると、事業内容は新規事業のシーズの点から、具体的にまとめられて、進出分野としては、
この原型は、基本原則の3、4をもとにして作られたものである。分類のうち「4. 地域社会の要請に応えて出資」というのが、基本原則の「4. 外部の智恵を積極的に取り入れる」のところで説明に挙げられたものであるし、他の3分類については、基本原則の「3. NTTの経営資源を最大限に活用する」のところで挙げられた主な進出分野と同じである。したがって、裏を返すと基本原則は、現実の進出分野の妥当性を事後的に説明するような形で作成されているともいえる。つまり、NTTは民営化の段階で、新規事業展開まで念頭に入れたドメインの定義をあえて行なわずに、試行錯誤を繰り返しながら、新規事業会社の事業分野の分類自身についても模索を続けた結果、前章の表6.6のような分類に到達したと考えることができる。
このように見てくると、基本原則は、新規事業会社たる要件を新規事業開発の必要性から説明するものと、現実の進出分野を事後的に説明するものとをミックスしたものになっていると考えることができる。
これまで述べてきたように、NTTの子会社戦略は、本体業務の切り出し・別会社化ではなく、新規事業にのみ重点を置いた形でシステム化され、制度化されてきている。したがって、前章の表6.3にあったように、民営化後3年たっても、新規事業開発によってNTT本体から出向させることのできた者の数が、1年間の職員数の自然減と比べても2分の1程度とずっと少ないということは、当然予想されていたはずである。NTTデータ通信のように本体業務を切り出し、分社化すれば、一度に6,800人もの人員を社外に出すこともできる。しかし、新規事業会社はこうした本体業務の切り出しを否定したところから出発している。新規事業会社はすでにNTT内部にあった部門を分離独立させて別会社にしたのではなく、全くの新規事業を最初から別会社の形でNTTの外部に設立するのである。したがってごく小規模の会社からスタートするのが自然であり、1988年3月31日現在で、1社平均の出向者数が18人程度という数字はけっして少なすぎるわけではない。つまり、合理化と同一路線上で要員縮減を第一に意図していたのであれば、新規事業開発を中心とした子会社戦略は即効性のあるうまい戦略とはいえないことになる。
前章第3節で新規事業会社と対比させたように、受託会社は公社本体業務の切り出し事業を行ない、公社から委託費を受け取り、公社本体の余剰人員の受け皿会社として、受託会社に一旦出た社員を公社に復帰させるということも原則としてしないという特徴をもっていた。要員縮減という単独目的のためだけならば、この受託会社方式の方がむしろすっきりしているといえる。それに対し、前述のように新規事業会社はそれとは正反対の性格づけがなされている。民営化を境にして、明らかに子会社戦略の転換が行なわれているのであり、民営化後の新規事業開発を中心とした子会社戦略は、人員の合理化とは別次元で、別の方向に向かって、展開を開始したということができる。
したがって、前述の基本原則にあった「2. 本体のスリム化」も、単純なNTT本体の余剰人員減らし・人件費削減の意味だと片づけてしまってはいけない。「本体のスリム化」の実際上の意味は、「技術力や資産を活用した新規事業の場合であっても、要員はできるだけNTTの外部からは採らずに、NTTの本体から採用するように」ということだと新規事業開発の担当者によって説明されている。これは、考えようによっては、新規事業会社への投資の回収を人件費によって行なっていると考えることもできるが、実際には、余っているとはいえない優秀な人材を出向させているのである。つまり、余剰人員の厄介払いという発想ではなく、NTTグループ全体では人件費を一定に保ち、グループ全体の収益の増加を図るというNTTグループ全体の発想が根底にあることに注目すべきである。
NTTという一企業の枠内だけではなく、NTTグループという企業集団全体で費用・収益を考えるということは、民営化の段階で、かなり明確に意識されていたと思われる。事実、民営化前に、経営形態問題検討グループが作成した『公衆電気通信事業の経営形態問題を考えるに当たって』と題するQ&A形式の小冊子が公社の管理職対象に配布されたが、その中では、公社にはいままでに開発した自己技術、ノウハウ、等で世の中に役立つと思われるものが多く蓄積されてきていると思われるのに、公社制度の下では、その事業範囲や投資対象範囲が公社法によって限定的に規定されているので、民間企業であれば企業として発展を期す上での最重要課題に対して、ややもすると初めから諦め、断念し、努力・創意を放棄し、それ故、蓄積されたノウハウ等がいわぼ死蔵されてしまっている、という記述がなされている。そして、新たな事業分野に進出し、これまでに培ってきた職員の技術力・経験を有効に活用することによって、新しい収入である「新規事業収入」を創出するのだと主張されている。
前述の基本原則の中の「1. 事業領域(パイ)を拡大する」「3. NTTの経営資源を最大限に活用する」の真意とはまさにこのことで、長年、公社制度の下で電気通信事業の運営及び研究開発を通じて蓄積してきた技術力、ノウハウ、そして何よりもそれを身につけている人材、及び資産といった中のかなりの経営資源が事業範囲に制約のあるNTTという一企業の枠内だけでは有効利用できないということ、そして、それらの経営資源をNTT本体の外部に出すことで初めて有効利用できる可能性が生まれ、NTTグループの収益拡大に役立つのだという認識が基本にある。そこで、NTTは出向者は原則として3年以内にNTT本体に復帰させるということを保証することで、NTTという一企業、しかも制約や規制に縛られた一公企業の枠をはみ出し、法的には別会社であるが、人的には密接に結びつき、一組織ともいえるNTTグループを形成することを目指したと考えることができる。そのために、NTTが公社時代とは全く異なった方向へ子会社戦略を転換することがきわめて重要となったのである。
ある意味では、公企業のもっている限界と問題点が、NTTの子会社戦略という局面に象徴的に現われているといえるのかもしれない。公社時代の事業上の制約の中では「余剰」人員にしかなりようのなかった人員を「経営資源」と化すための試みが、民営化を契機に、新規事業会社を舞台にして始まったのである。調査の中で、NTTの新規事業開発に携わる関係者の口からは、ついに「余剰人員」という言葉を聞くことはなかったが、その背景には、人材は余っているのではなく、NTTには人的経営資源が豊富なのだという発想が既に定着しているように思われる。その点では、前章の最初に、民営化、新規事業開発とは別の次元で、公社時代からの合理化への取り組みがあったことを述べたが、そのことは裏を返せば、新規事業開発の発想は、余剰人員の合理化とは別次元の、豊富な人的経営資源の有効利活用から生まれたものといえるだろう。
第6章の冒頭でも取り上げた1987年調査の結果が明らかにしているように、業績好調の民間大企業と比較しても、NTTの出向者及び関連企業部は活性化しているということになる。標本数が多くないために、結論は下せないが、NTTの子会社戦略は出向者を中心としたNTT社員の意識に良い影響を与えているといわれていることを裏づけるものである。その意味では、NTTの子会社戦略は、NTT一企業内では活かし切れない人員をNTTグループ全体で人的経営資源として生かすことに、ひとまずは成功しているといえるだろう。
このような良い影響が現われてくる最大の要因は、原則として3年以内の出向期間で100% NTTに復帰させるということを保証しているということだと考えられる。そのために、出向を人事のローテーションの一環として考えることもできるからである。こうして民間の風の中で活性化された人材を3年の出向期間の後にNTT本体に戻せば、NTT本体もまた活性化しうるということが十分に予想される。
子会社への出向を人事のローテーションの一環として考えられるような合意がNTT社員の間で形成されるならば、子会社出向というのは、もともとうまい手なのかもしれない。二村(1982)は、個人の高次の欲求の観点からの仕事の有意義化として「職務充実」(job enrichment)を定義した上で、職務充実の方法として、次の5つの方式に整理している。
そして、これらの5つの方式は相互に排他的ではなく、5を除いて、4は3を、3は2を、2は1を含む形になっているとも指摘している。
つまり、NTTの場合のように、本体業務の切り出し、別会社化ではなく、新規事業にのみ重点を置いた形で、しかも、5つの基本原則を明文化した上で、ごく小規模の会社からスタートさせた子会社に出向することは、職務充実の方法の1〜5のいずれにも合致したものとなっているのである。それに加えて、小規模の会社への出向ということで、第3章第2節の事実発見1、事実発見2で見いだされたような効果も期待することができる。つまり、技術職、事務職といえども営業的な業務にもつかざるをえないということ。そして、職位上ではNTT本体にいたときよりも高い職位につくということで、タイプ3の意思決定者型となり活性化することが期待できるのである。
一般に、新規事業が成功するか否かは人材にかかっており、新規事業を成功させるためには、優秀でやる気のある人材、より正確には、第1部でいうタイプ3の人材を要所に配置することが必要となる。それはNTTの新規事業開発にとっても当てはまる。そして、NTT本体にとっても、その将来の成否の鍵を握っているのは、やはり人材なのである。したがって、比較的若くて、優秀な人材を規模の小さな子会社に出向させ、そこで、職務充実の方法の中にもあったように、NTTのような巨大企業の中ではほんのごく一部しか経験させることのできない、会社経営の全般に当たらせ、それに通じた人材を育成すること、そして、その人材をNTT本体に還流させるということは、NTT本体にとっても計り知れない価値をもっているといえる。その意味で、NTTにとって、もっとも重要な経営資源はやはり「人」であり、新規事業開発を中心としたNTTの子会社戦略の最終的目標も、子会社出向での適材適所と経験蓄積による人的経営資源の価値の実現と向上にあるといえるだろう。それは第1部でいうタイプ3のメンバーの確保に他ならない。
本書の締めくくりとして、組織活性化とぬるま湯感がなぜいま問題になっているのかを、本書の提示した枠組みに基づいて、改めて考えてみることにしよう。
いま、成長期にある企業について考えてみよう。もし、企業が高成長を続けているのであれば、その組織のほとんどの特性、変数は、単調に増加、もしくは単調に減少といったように単調に、しかも大きく変化することになるだろう。つまり、十分な成長性は企業、組織の内部に単調性と高い変化率をもたらすのである。このことは重要なことである。一つには、組織自体の変化率が大きいことから、組織のシステムとしての変化性向も大きくならざるを得なくなり、ぬるま湯感は、自然と低くおさえられることになる。もう一つには、単調性があれば、企業全体の方向性や戦略が明確にわからなくとも、メンバーは自らが向かうべき進路を、企業全体の方向性に反しない範囲で知ることができる。つまり、メンバーは全体のことを知らなくとも、自分の回りのごく狭い世界(=状況定義)を構成する変数の過去から現在への動きを知っているだけで、単純に、過去から現在への経過の延長線上に進むべき未来像を描くことができる。第2章での組織の活性化された状態の定義である「組織のメンバーが、(1)組織と共有している目的・価値を、(2)能動的に実現していこうとする状態」のうちの(1)が容易に達成され、高成長のもたらす活気が(2)をも可能にし、比較的容易に「活性化された状態」が達成されうることになる。
ところが、企業が安定成長、低成長に陥ってしまえば、こうした事態は一変する。単調性はあちらこちらで屈折し、混迷へと急速に変化する。企業全体の方向性や戦略が明確に打ち出されなければ、そして、それが、メンバーの間にきちんと浸透しなければ、メンバーは自らの向かうべき方向を見失う。自分がいま何をすべきか、何をしたらよいのかを見失うのである。つまり、暗闇の中では、積極的に動くことができなくなるのである。こうして、活性化された状態は失われる。現状にとどまらざるをえないのである。たとえ、自分が能動的、積極的に動き、変化を求めたくとも、組織、職場のシステムがそれを受け止め、促すような状況にはなってはいないために、低システム温のもとで、体感温度仮説の筋書き通りに、ぬるま湯感もまた進むことになるのである。
第2章でも触れたように、「組織の活性化」という用語は1970年代半ば頃からしばしば用いられるようになったといわれるが、これは、日本が高度成長期から安定成長期に移行して、たとえ成長するにしても、それまでの戦後の経済復興期や高度経済成長期のような単純な成長ではなく、分社化や企業グループ形成、さらにはリストラクチャリングといった複雑な様相を呈するようになってから、「組織の活性化」が叫ばれるようになったと考えることもできる。そして、こうした活性化の必要性が叫ばれる状況に軌を一にして、ぬるま湯感も進行していたと考えられるのである。
実は、本書で扱っている3回の調査の過程で、組織の活性化について、ヒアリングをして印象に残ったことがある。それは、企業全体の戦略や方針をトップが明確に示して欲しい、そして、それをきちんとブレークダウンして、組織の下部まで浸透させることが重要なのだということが必ず意見として出されるのである。よく考えてみると、企業、組織は成長しなくても、明確に全体の方向性が打ち出されれば、活性化することは可能なのである。高成長期には何もしなくとも、組織内に単調性が生まれ、活性化することは容易だったわけだが、低成長期にあっても、意図的に、一体化すべき方向性、つまり、目的、価値を明確に打ち出し、メンバーに積極的に動けるような状況を作り出すことで、活性化を導くことはできるのである。その意味では、ヒアリングの中で戦略、方針の明示を渇望しているということは、偶然ではなく、まさに本書で明らかにされたような意味での組織活性化を渇望して、本能的に求めた施策であると考えることができる。
その意味で、第3部で取り上げたNTTの事例は、民営化プロセスの中で、子会社戦略を180度転換させ、基本原則を確立することで、別会社を舞台にした新規事業展開の戦略、方針と「民営化」の具体像を明示することに成功した事例だといえる。新規事業開発というきわめて革新的な分野において、基本原則をわざわざ作成し、それを全社がきちんと順守している様子に多少驚いた私が、思わず、どうしてそうするのかと尋ねたときの、新規事業開発の担当者の一呼吸おいて返ってきた次の答えが、今でも印象に残る。
「うちのように30万人も人がいると、原則を作って、その原則に則ってことを進めないと動けないんだと思います。」
もちろん、自分で作った原理、原則に縛られ、思うように動きがとれなくなってしまえば、それは滑稽としかいいようがないのだが、安定成長期の大企業にとって、企業もしくは企業グループ全体の戦略や方向を明確にすることは、NTTの事例にみるように、組織活性化を図る上で、重要な第一歩となる可能性が大きいと思われる。